最近枝幸<えさし>(稚内の少し南)に行ってきた友人から

思わぬことを聞きました。

 その辺はオホーツク人という民族(?)が住んでいて、

今のロシアとも交易があったのだが、

アイヌに征服されてしまったというのです。それは奈良時代の

頃のことのようです。

 熊を神と崇めるなど、両者には似通った文化もあったそうです。

 アイヌは、“シャモ”から虐殺された民、というイメージが

強かったので、加害者地代もあったのかと意外でした。

 そのアイヌもまた本州から駆逐されたのだとも

友人は言っていました。

  アイヌは北海道、せいぜい東北、それも太平洋岸が居住地だったと

 そういえば梅原猛さんが、アイヌ語が元とおもわれる地名は

驚くほど広範囲に―西日本にも―

見出されると書いているのを読んだことがあります。

 正史(別に正しいという意味ではなく、権力者が残してきた記録、

日本でいったら文部省検定教科書といったところ)には嘘やごまかしが

多いとは以前からおもっていたことですが、改めてそう実感

したことでした。


わたしはおもいこんでいたのですが、この友人は石川の出身で、

能登などという語もアイヌ語が元だと言われているというのです。