坂本竜馬については、グラバーの言うとおりに銃をいわば密輸

していた・・・といった指摘がネットではよく見受けられますが、

その死の理由については明確な記述を見たことがありませんでした。


 もしも以下の推測が本当ならイギリス王室と同様三菱も

悪事を基礎に財をなした存在だということになりますが・・・

  まあだからといって特に良心の呵責も感じないのでしょうが・・

 

 「金貸しは国家を相手に金を貸す」さん

 http://www.kanekashi.com/blog/2013/10/002059.html  の一部を

転載させていただきます。

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 3)の万国公法を盾にした自己正当化の交渉、4)の唄によって大衆を共認支配するやり方は、(それまで鎖国をしていたため)当時の日本人が独自に考え出したとは考えにくい。この手の近代観念やメディアコントロールの手法は、まさに金貸しの王道ゆえ、英国のグラバーを始めとする、西欧諸国との接触によって輸入→入れ知恵されたものだと推測される。


土佐藩(24万石)は坂本龍馬の海援隊を利用して、財政豊かな紀州藩(55万石)から金を取るために、汽船の衝突を演出した。(近年の調査から判明しているように)いろは丸には当然積み荷など最初から積んでなかった(なぜなら積み荷がないのだから、完全沈没しないと都合が悪い)。そしてその賠償交渉には、龍馬が全面に立ち、幕末の日本には全く馴染みのない「万国公法」を用いて権利を正当化し、賠償金をせしめた。「いろは丸」は借りた船なのだから、伊予大洲藩に賠償金を支払うべきだが、その史実もないことから、土佐藩がそのまま横領した。土佐藩は参政が後藤象二郎で、財政の一切を岩崎弥太郎が仕切っていたことから、必然的に2人がその金をせしめた=計画的を企てた主犯格だったのではないか?
そして、龍馬は何者かによって殺された。(用済みだったということか?)


【5】賠償金は11月7日に長崎で支払われたが、その8日後の11月15日、龍馬は京都川原町の近江屋で暗殺されている。つまり交渉の立役者である龍馬は賠償金を手にしていない。


以上を総合的に判断すると、次のような仮説が立てられる。