アウン・サン・スー・チーさんが、軟禁されているとき、軟禁されているから

“民衆”側―かとおもえばそうではないといった内容の指摘をネットで

読んだ覚えがありました。ということがあってさらに、少し前

新聞で銅山の開発に反対運動が

あるのに、開発に賛成した・・という新聞記事を読み、疑問が増幅・・・

 ::::マーク以下は: 

donのブログ」 http://ameblo.jp/don1110/entry-11095437007.html  

さん経由

「暗黒夜考」 http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/0cecd2504b61347197f1e6bbdf26514d

から一部転載:

 事実かPFかわかりませんが・・・

 (PFというのはわたしの造語で、political fiction 。もっとも

SFも political fiction が多いような気もします)

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 ミャンマー(ビルマ)の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チー女史が、軍事政権による軟禁状態から解放された。
スー・チー女史については、日本では「民主化運動指導者」として美化・賞賛されているのが一般的な見方であろう。
しかし、本当にそうであろうか?

まず、スー・チー女史の出自であるが、ミャンマー「建国の父」と尊敬されるアウンサン将軍の長女として1945年に生まれている。
父のアウンサン将軍は、英領ビルマを独立に導いた英雄として称えられているが、太平洋戦争にて、日本との協同戦線でイギリス領であったビルマを解放した。
しかし、その後イギリス側に寝返り、日本へ反旗を翻し、結果としてビルマは再びイギリス領となった。

つまりアウンサン将軍はイギリスに抱きこまれたということであるが、イギリスからの独立を模索し続けたため、その後に暗殺されてしまった。
(定かな証拠はないが、状況証拠的に間違いなくイギリスの仕業であろう)


そんな背景の中、スー・チー女史は、インドのデリー大学、イギリスのオックスフォード大学で学び、1972年にイギリス人のチベット研究者(マイケル・アリス)と結婚している。
つまり、父親の仇でもあるはずのイギリスに”べったり”の経歴である。
その思考パターンは、欧米の”民主主義””価値観”に支配されている可能性が極めて高いと言ってよいであろう。


そしてビルマに帰国後、その民主化運動を評価され、1991年に「ノーベル平和賞」を受賞している。
先日のエントリーにてコメントした通り、「ノーベル平和賞」と言えば、”政治利用目的”の色合いが濃く、いかにユダヤ金融資本に貢献したかを示すものであり、今や胡散臭さの代名詞と言ってよい類のものである。

よって、この民主化運動も、スー・チー女史の力というよりも、欧米側の”後押し”がかなり強かったと考えるのが自然であろう。

では、何故、欧米列強がそんなにミャンマー(ビルマ)に必死なのであろうか?
それは、結論から言えば、ミャンマーの「三角地帯」における”麻薬利権”を巡ってのものである。

イギリス領であったビルマに、世界の”麻薬利権”を牛耳るアメリカ(CIA)が割り込んできたのがその真相である。
”麻薬利権”あるところにアメリカの影ありという「いつもの図式」である。

それが、表向きは軍部政権と民主主義勢力の争いとして見えているだけのことである。
即ち、スー・チー女史も”麻薬利権”の奪い合いに”政治利用”されたに過ぎないと言っていいであろう。

ところで、ミャンマーについては、この”麻薬利権”だけでなく、ここ最近はミャンマーの有する海底ガス田に絡む”エネルギー利権”を巡る争いも勃発している。
中国・インドがこの”エネルギー利権”を牛耳っていると言われているが、これが面白くないアメリカが色々と裏工作をおこなっているようである。
正確な情報が掴めているわけではないが、今回のスーチー女史の解放は、この”エネルギー利権”を巡る両勢力の駆け引きの結果ではないかと小生は考えている。

我々日本人は、単純に「軍政=”悪”、民主化運動=”正義”」と思考しがちである。
しかし、スーチー女史による民主化運動を単純に「涙の感動物語」とみることは甚だ疑問であり、その裏側に蠢く(うごめく)勢力の思惑を読み解くべきであろう。

http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/0cecd2504b61347197f1e6bbdf26514d


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