原発技術者だった方の、福島原発事件から今までの状況の、

よくわかるレジュメというべきものを書いていらっしゃるので転載します:

「リベラル21」 2013.03.01 「原発の安全」とは?-普通の市民の感覚で-

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今、日本中を、原発の安全性についての色々な意見が飛び交っている。
安全だというもの、危険だというもの、わからないというもの。この現象は日本国内にとどまらず、世界中にも言えることだ。

2011年3月11日の東京電力福島原発事故(以下、3・11原発事故)の発生を見て、原子力政策を変えた国もあれば、変えなかった国もある。当の日本においては、2030年代に原発ゼロを目指すとした民主党政権が昨年末の衆院選で大敗し、後に生まれた自民党政権は逆に原発の推進を掲げている。日本の原子力政策も混乱状態にあると言わざるを得ない。その自民党政権ですら、原発の再稼動には「安全性が確認されること」を条件にせざるを得ない状態、即ち、現状の原発をそのまま「安全だ」とは言えないのだ。

いったい本当のところはどうなのだろうか。
「原発の安全」をどう考えたらよいのか?日本の原子力政策はこれからどうしたらよいのか?これはとても大きなテーマであり、今すぐ一つの結論を出せるものではないが、以下に私が記すことが、世間を洪水のように流れる原子力関連の情報に触れ、その情報を解釈する上で何らかの参考になれば幸いである。
3・11原発事故によって「安全神話」がウソであることがバレてしまったと世間ではもっぱらの評判である。正確には「『原発は安全だ』というこれまでの電力会社や政府の言っていたことは事実ではなく『安全神話』であることがわかった」と言うべきであろう。そして、現在も原発についての「安全神話」はまだ死んでおらず生き残っているが、3・11原発事故後、その神話を信じる人びとが激減したということである。しかも、原発の再稼動を急ぐ電力会社や政府は様々な方法を駆使して、「安全神話」を信じる人々を再び増やそうと事故の直後から最大限の努力を続けている。

2011年の夏に、菅直人首相の主導で突然始まった「ストレステスト(以下、ST)」と称する手続きは、反原発派の井野博満・東大名誉教授や後藤政志・元原発設計者などを意見聴取会の委員に含めるなど、手の込んだ演出までして公平性が印象づけられた。各電力会社からはSTの手続きに従って、自社の原発が設計条件の何倍の地震まで耐えるかなどという評価報告書が原子力安全保安院(以下、保安院)に提出された。井野、後藤両氏の電力会社の報告への技術的な追求により、保安院による審理は遅れて、ダブルチェックをすると言われる原子力安全委員会への保安院からの報告も遅れ、とうとう2012年の5月には運転中の原発がゼロという日本の原発導入後初めてという事態が生まれた。しかしながら、菅首相の後を継いだ野田佳彦首相は、翌6月8日の記者会見で「国民生活を守るために」と称して、関西電力大飯原発3号機と4号機の再稼動を決定を表明し、運転中の原発ゼロ状態は短期で終わってしまった。

一方、2012年の1月からは国会事故調という憲政史上初めてという国会内に設けられた調査委員会の調査活動が始まり、10人の正規委員の下での協力調査員という名目で私も調査に参加させてもらった。この国会事故調による公開ヒアリングの場において、原子力安全委員会の斑目春樹委員長は、3・11原発事故までの原子力安全規制のための基準もそれを運用する官僚たちの能力も事故を未然に防ぐにはまったく不十分であり、今後はそれらの抜本的改善が必要であることを実に正直に認めた。そういう事実が、昨年秋以降、新しい原子力規制委員会が原発を推進してきた経済産業省の下ではなく環境省の下にでき、且つ、新しい原子力安全基準の策定が行われるきっかけになっている。現在、新しい規制委員会の下で新安全基準の骨子案がつくられ、それに対するパブリックコメントの募集の真っ最中である。

即ち、現在運転中の大飯原発3号機と4号機は、新たな安全基準が策定されるのを待たずに再稼動し、運転を続けており、3・11原発事故と同じような事態がいつ起きても不思議ではない状況にある。これが大問題として大手マスメディアで報道し続けられないこと自体が、日本の大問題だと私は感じている。

本来、これまで世間に「安全神話」を長期に亘って醸成をしてきた電力会社、経済界、政府、御用学者、大手マスメディア、大手広告代理店など「原子力ムラ」の関係者が自覚し、反省をしなければならないところだが、あろうことか、彼らは「安全神話」の復活に向けて相変わらず連携をしているのが実情である。彼らの責任がたとえようもなく重大であるにしても、騙された私たち国民にも責任の一端がないわけではない。では私たちはいったいどうすればよいのか?「原子力ムラ」が流す情報やニュースを鵜呑みにしないこと」などと言っても抽象的すぎて具体的にどうしたらよいか困る。そこで、それらの情報に騙されないためのヒントを一つだけ、原発技術者として過ごした35年間の体験を基に紹介したい。

40年ほど前、私がまだ30代の現役社員で原発メーカーの設計・技術部門に在籍していた頃、原発の安全系のシステム設計に、「確率論的安全解析」という手法が導入された。即ち、システムを構成する機器やその部品が故障・破損する「確率」から、システム全体の故障・事故の発生確率を求め、ひいては、原発の安全性をどの位の確率で確保することができるかを評価し、システム設計に反映するということだ。そのような手法で設計内容を解析すると原子炉の炉心が損傷する確率は10のマイナス6乗(百万分の一)未満になっているから安全だというのである。そのように設計に「確率」という考え方を取り入れるという考え方に、当時はとても新鮮な印象を持ったことを覚えている。
それから間もなく、こんどは「リスク評価」という考え方を教えられた。即ち

、[リスク(R)]=[事故・故障の確率(P)]×[事故・故障による被害・損害の大きさ (D)]

ということだ。この考え方が、具体的に設計に反映されたという記憶はないが、これによって、事故や故障を単に「確率」だけに注目して評価するのでは不十分だということだけは、はっきりと教えられた。つまり、「リスク」をあるレベルに抑えようとするなら、「被害・損害の大きな事故・故障」は「被害・損害の小さな事故・故障」よりも起きる「確率」をより小さく抑えねばならないと。

上記の「R=P×D」というのは簡単な数式のように見えるが、現実には、確率Pも被害Dもそう簡単に数値では表せない。原発に組み込まれる機械や装置は、長い歴史のある一般産業用の機械や装置と違って特殊なものが多く、確率Pを算定できるほどデータがないし、被害Dにいたっては、3・11原発事故を見てもわかるように、何年後に再開できるか予想もつかない農業・漁業・酪農業・林業など一次産業の被害、放射性物質による内部被曝の将来の疾病の可能性、故郷に戻れない人々の精神的喪失感、地域の伝統文化・芸能の継承の断絶、市場経済には乗っていないが地域住民の生活の糧になっていた海の幸・山の幸の喪失、などなどとても数値で表せないからだ。だから、この式は、計算のためというよりは、思考のための参考になる概念と言ってよい。(もちろん、ある特殊な設計対象においては、数値を入れて「リスク」を数値化できる場合もないわけではない。)

さて、上のようなリスクの概念を基にして、「原発のリスク」を評価したら、どのような結果が出るだろうか?「原発のリスク」を自分が許容できる範囲にしようとしたら、皆さんはいったいどのような結論を出すだろうか?この場合、一つの正解があるわけではなく、一人ひとりで結論は違ってよいので、皆さん、一人ひとりで一度考えて自分の結論を出してみることをぜひお奨めしたい。世間で「専門家」と言われている人々よりも、むしろ、普通の感覚を持った市民の方がより正しい結論が出せるだろうと私は信じている。

小倉志郎(おぐら・しろう)氏略歴
1941年東京生。慶大工学部卒、同大学院機械工学修士。
日本原子力事業(後に東芝が吸収合併)に入社。35年間、原発の開発・建設・運転の全過程に従う。退職後、匿名論文「原発を並べて自衛戦争はできない」http://chikyuza.net/n/archives/8887執筆を機に、平和・反原発運動へのコミットを深める。「3.11」以後は、講演会などに多忙な日々を送る。「軍隊を捨てた国コスタリカに学び平和をつくる会」世話人。