「榎戸誠の情熱的読書のすすめ」さん

 http://www.medicalline.co.jp/enokidoblog/leader2/2011/11/6770

 「基本読書」さん http://d.hatena.ne.jp/huyukiitoichi/20110218/1298008221

 “HISTORY”さん http://yoshua.egoism.jp/h%5Ekai.html が

『世界史をつくった海賊』(竹田いさみ著、ちくま新書)の読書ノートをupしていらっしゃいます。その焼き直しです↓すみませんが原典に当っていません。

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エリザベスが即位した当時のイギリスは、スペイン、ポルトガル、オランダ、フランスなどの一流国家に比べ、貧しい二流国家に過ぎず、借金に苦しみ王室領地まで切り売りせねばならない有様であった。人口もイギリス四百万人に対し、近隣のスペインやフランスは一千万人を超えていた。

 にもかかわらずスペインとの全面戦争を避けられないという情勢で、エリザベスが採った方針、それはスペインの国力の徹底的弱体化だった。

 エリザベスは多額の資本金と「私掠免許 マルク」(他国の財産を横取りしても許されるという無茶苦茶な免許)を、奴隷船を運航していたドレークという人物に与えた。ドレークは 157780年にゴールデン・ハインド号でスペイン植民地への攻撃、略奪の遠征を行い、これがマゼランに次ぐ世界一周となった。スペイン人たちはドレークを

“エル・ドラク(龍)”と呼びおそれた。

こうした免許はエリザベス以外の貴族も発行しており、またドレーク以外の貿易船もこうした免許を得ていた。

ドレイクはこの間スペイン・ポルトガルの船の襲撃だけではなく、スペイン植民地やヨーロッパ各地にスパイを配置し、敵の最新情報―人事、内部対立、作戦情報等々―の入手に努めた。

こうした所業への女王の関与は徹底的に隠蔽されており、スペインやポルトガルからの抗議があっても知らん振りを決め込んでいた。
 母港に帰還したとき、ドレイクは50万ポンド以上、今の貨幣価値にすれば国家予算並み、一説には当時のイギリスの国家予算の3倍にあたる財産を手にしており、それはイギリスの借金は全て返済して余りあった。

エリザベスは巨万の富をもたらあしたドレークに、スペインとの外交関係を無視して「サー・フランシス・ドレイク」と名乗る権利―ナイトの称号を与えている。

 ドレークはアルマダとの海戦にも参加している。