昨日たまたま「アンビリーバボー」を見てこんなことがあったのかと

びっくりしました。

ある警察官がある人を、殺人犯人にしたてあげられて死刑にされることから

すべてを賭して守ったという再現ドキュメンタリーでした。

@@@@@@@@@以下はその内容です。途中から見たこともあり再現がやや不正確かも

しれません。

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山崎兵八は被告人側証人として公判に立つことは立ったが、裁判官の質問が的外れで、

このままでは有罪になってしまうと思い、質問を無視して冤罪であることを

語り始めた。

すると偽証罪で逮捕され、釈放されたものの、それは精神に異常をきたして

いるからどいう理由。

警察官も辞任させられることに。

また精神を病んでいるという理由で運転免許もとりあげられ、新聞配達と

奥さんの道路工事等への日雇とで生活していた。

ある日次男が木登りをしていたら、自宅に誰か入っていくのが見えた。

脛だけが見えた。

客かなと思ってほうっておいたらまもなく火の手があがった。

次男は警察に拘束され、おまえがこたつで火遊びをしていたからだろうと

責め立てられた。

[不思議なのだが=katsuko] 取り調べ室に父親の同席が認められた。

父親の、うそを絶対ついてはならないというおしえが頭にあり、そんなことは

していないとがんばり続けた。

ほとんど丸一日食事もなしに取調べが続いた挙句、次男の前に丼物が置かれた。

食べようとしたら、横から警察官の手が伸びてきて蓋をおさえた。やりましたと

言えば食わせるというのだった。

だが次男は食べずにがんばった―

家には、山崎が調べに調べた、被告が冤罪だということを示す書類が山のようにあったのだった。

この間弁護士達が立ち上がり、最高裁で死刑判決を出した判断が差し戻し[]

になるなど、被告が死刑になることはくいとめられていた。

後年山崎は激しい頭痛に襲われ倒れた。幸い一命はとりとめたが、

放心状態のような日々が続いた。

ある日縁側にお茶を運んできた、もう成人になっていた長女が、「お父さん、もういいんじゃない」と

言った。

三人の子どもたちは学校で、「おまえの父ちゃんはどうして豚箱に入っているんだ」などと

そしられながら育っていた。二俣事件という語はずっと家の中で禁句になっていた。

それだけに娘の一言には千金の重みがあった。

山崎は50年前のことを思い出しながら憑かれたように書き続けた。

山崎の執筆開始までの間に弁護士達が立ち上がり、地裁が死刑判決、高裁も控訴棄却、しかし最高裁が

原判決を破棄差し戻し、地裁が無罪判決、検察が性懲りもなくした控訴を高裁も棄却、ここで

ようやく検察が上告を断念していた[この段落はウィキペディアを参照]。ただ山崎の名誉回復は

著書上梓後も行われないまま山崎は死の床につく。次男が父の手を握り、「お父さん、ありがとう」

と言った瞬間絶命した。

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この後“芸人”たちがコメントしていたのですが、関根氏が「お父さんがいなければ食べられたのにね」

と。聞き間違いでなければ。比較的好感をもっていた人であるだけに唖然としました。


それからもりさんちゅうの村山氏だったとおもうのですが「昭和25年なのでこんなこともあったんですね」ということはこの人は今はこうしたでっちあげはないと思っているのでしょうか。

 ただわたしは知らなかった事件なので、スタッフのみなさんには感謝します。

 スタッフの中には植草氏や小沢氏の事件が陰謀であるとおもい、怒っている人もいるとおもいます。こうした過去事件の紹介という形でしか

体制批判ができない、江戸時代と変わらない状況なんだなと感じます。


山崎さん畢生<ひっせい>の著書の名は『現場刑事の告発-二俣事件の真相』、1997出版

 さっそくヤフー知恵袋でどこで読めるか聞いている人がいて、回答もなされていました。

自費出版図書館 http://library.main.jp/  が挙げられていました。