昨日山口県庁前で知り合ったKさんという方に、ヤマノミという民族が
アマゾンにいて、NHKが取材番組を作っていたことをおしえてもらいました。
検索してみたらDVDになっていました。
http://www.nhk-ep.com/shop/commodity_param/ctc/+/shc/0/cmc/14890A1/
NHK自身が作った、そのDVDなり番組の紹介、それから少なくとも
検索して上位に出てくる何人かの方の視聴感想だけでは、ヤマノミの
生き方の意味というかエッセンスが伝わってこない―少なくとも
Kさんの観方は。
ではそのKさんの観方というのはどうなのかというと―
もう一度Kさんに聞いてみないと、Kさんが、ヤマノミがそう考えている
のだろうと推測したのか、番組制作スタッフ自体がそう推測したのか、
ヤマノミのどなたか自身がそう語ってくれたのをスタッフが紹介したのかよく
わからないのですが、一応Kさんの話を再現してみます。不正確な
ところもあるかもしれませんが:
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人間の欲望は限りがない。例えば食もどこまでもどこまでも際限なく
おいしいものを量多く食べようとする。着飾ったり化粧したりということも
そんなにきれいになってどうするのかと思うくらいにどこまでもどこまでも
(その人のおもう)美を追求している。
そういった欲望の際限のなさの原因は何なのか。それは性をタブーとして
閉じ込めておくことに由来するのである。
ヤマノミの文化では性はまったく秘匿されていない。
例えば男根を象徴したモチーフが存在する。(これは古代日本でも
そうだった)また例えば樹の幹が分かれたものを子どもが指さして、
これは女性の大事な部分だから大事にしないといけないんだよ、と言っ
たりする。l人びとの家(材質は不明)は女性器を象<かたど>ったものである。
夜になると毎日のように祭りが始まる。その祭りは焚き火を囲んで
村中の老若男女が輪になって互いに手をつなぎ踊るというシンプル
なものである。
ある日まだ成熟していない少女が子を産んだ。お産はその子を産もうと
する人にもう一人の女性(?)が付き添うだけで深い森で孤独に
行なわれる。お産の後その子を育てるかどうかはその少女一人の判断に
委ねられる。育てることができるかどうかを自問し、不可能だと
判断すると、産まれた子を放置し白蟻に食われるままにする。ただ
その後少女は何日も泣き続けるのだ―
これを残酷と見るのかどうか。ヤマノミは人間と蟻とを別ものだとは
思っていない。
人間と人間以外の動物に境がないだけではなく、生と死も峻別されて
はいない。
まだ四十代半ばの男性がある日、もうすぐわたしは死ぬと宣言する。
しかしその男性に嘆きはない。
ヤマノミは記者を人間とは見ていなかったので、記者が全てを
見聞きすることができたわけではなかった。
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さっき書いた検索して見つかったある方の感想は、要するにショック
だった、残酷だったというものなのでしたが、では日本では、広く“先進国”では残酷なことはないのか。
中絶は行なわれているけれども、胎児なら殺人ではないのか。
日本国民が積極的に支持したかしないかはともかく、また直接か
間接かはともかく、法的には自ら選任した小泉政権が自衛隊を
送ることで―それが名目は人道支援だったとしても、米英を
encirageしたことにはまちがいなかった―米英によるイラク人殺人を
手伝った、そのことは、ヤマノミの儀式を残酷だと言った人の
意識から欠落しているのではないのか。
コーヒー豆(カカオ豆だったかもしれない)農園で、賃金ともいえない小銭
数枚を報酬として与えるだけで、幼い子どもまでも一日中働かせ、働きが
わるいと懲罰として腕を切断したりしていることもある
(池田香代子さん談)、そうしたことを知らずに“違いがわかる”といった
キャッチコピーで売ったり買ったり、2月14日に好きな人だか会社の同僚だか
友達だか自分自身だかに贈ったりして喜んでいるといったことは別に
残酷ではないのか。
WEB上に書いていたある方は、欠損がある子が殺されるのだという
ことも指摘していた。“先進国”では欠損があることをもって差別されては
ならないという規範は、それが実現されているかどうかは別として
確立されている、少なくとも確立されつつある。けれども
明らかに欠損を招くとわかっている企業活動―放射能だの合成化学物質
だのを“製造”して環境中に撒き散らしていて、それが
アマゾンの空気をも汚染しているかもしれないことはどうなのか。
それより何より、ヤマノミの生き方が示唆している、どう生きるべき
なのかという問題を、Kさんのように番組に読みこんでいた人が、
少なくとも多数派ではなかったらしいーもしそうならそれは残念なこと。