淡路島モンキーセンターで人間と同じものを食わされて奇形が多発していることを全国で説いて回ってきた、老いた中橋所長は、20年ぶりに参観者として訪れた筆者に、農薬の害もだが、最も問題なのは、隣で、世界で何が起こっていようが無関心な日本人たちの文化であるという。


 だが先日。隣で・・・先日電車で、私の右側に座っていた高校生らしい女の子の、友だちらしい子が、次の停車駅で乗ってきた。それで左にずれて、彼女たちが並んで座れるようにしてあげた。そうしたら、後から来た子は気づかなかったけれども、初めにいた子はちゃんとお礼を言ってくれた。

 この子もまた、原発や沖縄のビラを街頭で受け取ることを罪のように思い込んでいる羊たちの一人かもしれない、が、この子は話せばわかるだろう。そして、もし自由の身になっても当然のように柵の中にもどってしまう群れから離れうるだろう。希望は、ある。


 ガマ天狗の落とし文さん http://hyla.jp/monkey.htm  から転載:

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淡路島モンキーセンターで思った
-2005.1.30-

 淡路島に渡って水仙の群落を楽しんだ後、気になって訪れたのが、20年前に一度入ったことがある『淡路島モンキーセンター』。
 初めて来た同行者に「頭が痛くなるものがあるけども…」と断ってから入場する。ここは野生のニホンザルたちを餌付けして、いつでも群れを観察できるようにしている施設で、「目を見つめないように」「お菓子やビニール袋を持ち込まないように」などといった注意書きがあるが、ここのサルたちはとても大人しい。人を見ると何か持っていないかと探りを入れるどこかのサルとは大違いだ。

 さてなぜ「頭が痛くなる」かだが、かつてここに多くの奇形ザルが生まれており、資料館に展示されている写真や資料などを見ると、誰でもきっと頭をかかえてしまうからだ。何度となくテレビでも紹介されているが、奇形の多くは手足に集中しており、指の欠損、手足のねじれ、曲がり、縮み、さらには片方の腕に手が2つついているケースもあった。いちばん有名になり、涙を誘ったのが、四肢が無く、イモムシのように這いずりながらも、懸命に生きていたサル「大五郎」や「コータ」だ。
 恐ろしいのは、これらの奇形が人間が餌付けしてから発生しだしたということ。人間が与えた穀物や芋、果物などの餌についた農薬が原因かも知れないというのだ。日本のその他のサル山でも、餌付けして3、4年経つと奇形が発生する率が高くなるという。

 資料館に入ると、すぐ後ろから杖をついた老人が入って来て、よろけて僕に寄りかかってきた。手を貸してテレビの前の椅子に座らせてあげると、ビデオを操作しようとするので、どうやらここの管理者のようだ。横目で見ていると、リモコンがうまく働かない様子。見ると、テレビのリモコンでビデオを操作しようとしている。「こっちがビデオのリモコンですよ」と言いながら、僕が巻き戻して再生した。
 老人は「こんなもんで良かったら、見てやってください」と言う。真っ直ぐに僕の目を見ながら言う老人の目が、穏やかに澄んでいて、輝きを持っているのに少し驚いた。どうやらただモノではないようだ。
 ビデオはモンキーセンターの奇形ザル「コータ」のドキュメンタリー番組だった。出ている所長は、20年前に僕に、
「あんたが食べているのと同じものを食べてこんな子供ができたんや。何とかしないと取り返しがつかなくなる」と力強く語った人物だ。そして老人の横顔を見ると、どうやらその所長本人らしい。
 「失礼ですが、中橋さんですか?」と聞くとそうだと言う。僕が「実は20年前に一度お会いしたことがあるんですよ」と言うと、喜んでくれてビデオを見ながら詳しい解説をしてもらうことができた。

 ビデオの後に、たくさんの新聞の切り抜き資料を見せてもらい、話を聞いた。オランダやアメリカ、その他世界各国からいろんな学者が来日して、奇形の発生原因や発生メカニズムの研究をしているのに、日本の学者は知らん顔だという。日本で使っていないはずの有機塩素化合物が検出されたり、様々な研究成果が出るたびにマスコミは話題にしてくれたが、日本の政府も学者も動こうとしないというのだ。
 中橋さんは悲しそうに語る。
 「全国で講演依頼があり、20年間ずっと独りで日本中を回って問題を投げかけてきたが、結局何ら大きな動きは生まれなかった。
 身体も壊したし、歳も取って、後を継ぐ者もおらん。もう疲れた。
 せめてここにたくさんの子供たちが見学に来てくれて、大変なことが起きていると知ってくれて、大人になってから動いてくれることを期待するくらいしかない。」

 続く中橋さんの言葉に、僕はいたく感動し、滝に打たれたような気がした。
 「いちばん問題なのは、農薬や大気汚染などの地球環境のことよりも、この現状を見て知らんぷりをしている日本人の心の在り方。
 隣の人が何をしているか無関心で、自分に直接降りかかってこない火の粉なら、どこでどんなに飛ぼうが関係ない。
 電車の中でも、満員の人がいるのに、誰も何も喋らずに無関心。こんなに気味悪いものはない。
 みんな声をかけ合って、人とのつながりを持ち、関心を持つことで、もっと世の中を良くすることができるのに、それをしようとしない。
 これが一番大きな問題なんです。」
 そんな人のつながりに橋渡ししようと、来場者にバッジを配り、そのバッジを着けた人同士が環境について語り合ったり、バッジを見て何ですかと尋ねた人にここの現状を話す、そんな場を作りたいと試みたこともあったらしい。
 しかし中橋さんのそんな努力は広まることなく、「もう疲れた」と語る姿が痛ましい。

 僕は「頭が痛くなる」と言ったことを反省した。中橋さんが僕を見た目は、真っ直ぐにモノを見る目だった。現実を真っ直ぐに見据えて、自分の目で確かめて、そこから目をそらさずに、世界中の人たちに知らせるべきだと感じて、知らせることが自分の使命だと信じて、それに生涯を捧げてきたのだ。
 僕は20年前、頭が痛くなったので、目をそらしてしまったことを振り返った。直視に耐えない写真から目をそらした。
 しかし今日、中橋さんと話をしていて、自分の前で起きていることから目をそらさずに、本当に大切なものは何なのか、本当の問題はどこにあるのか、正面から見据えて、正しいと思った道を選ぶことが、いかに困難で勇気が要ることかを思い知らされた。そしてその勇気が僕になかったことを教えられた。

 これからは、物事から目をそらさない勇気を持って生きてゆこうと思う。