以下の記事は、佐々木記者の良心の現れ、“防災”が原発事故を起こらないことにしている欺瞞への、プロテストと読みたい。


 100112 朝日 科学 佐々木英輔記者

 以下概要

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 活断層という言葉自体は1920代から研究者が使っていたが、60年代にようやく研究が本格化。 

 契機の一つが岐阜県阿寺断層。河がつくった段丘が上下にずれた場所が59年に学会で報告された。古く動かないと考えられた断層が10万年以内程度の「最近」動いたということで注目を浴びた。

 プレートテクニクス理論が広まる前夜。断層が地震を起すという考えも確立途上だった。62年にまとめられた予知計画には活断層調査も盛り込まれたものの


 活断層探しの基本は、空撮写真を立体的に見て、特徴的な地形を探す「空中写真判読」。

 地層観察が基本の地質学の学者は懐疑的に見る傾向があった。

 が、地質学者である松田時彦さん(東京大地震研究所、78歳)は、現地でも確認して、「地形は信用できる」と確信し、毎晩没頭したのだという。

  * この松田さんは たしかTBS「隠された活断層」のあの方では?

  以下まるまる転載:

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 60年代後半には、西日本を貫く大断層。中央構造線でも横ずれが見つかった。地層の年代を調べる方法が発達し、活動の活発さを比べられるようになってきた。

列島にかかる力や地殻変動の様子も見え、学問の幅が広がって学者も増えていった。

 そして74年、「活断層」は広く知られる。30人が無くなった伊豆半島沖地震で地表に現れたずれが報じられた。原子力発電所の立地もあいつぎ、社会との関係も深まっていく。


  統一基準による全国地図が必要だ―。研究者の問題意識から80年に「日本の活断層ー分布図と資料」が出版された。大学や国の研究者40人以上が「活断層研究会」に名を連ね、分担して判読を担った。

 判読の個人差を調べて基準を設け、活断層であるかの確かさを「確実度」で示した。判読結果はつきあわせ、信頼性を高めた。掲載された活断層は2000本。369ページに及ぶ本は防災の基礎資料になった。

 

 このころから「トレンチ調査」の時代に入る。重機で溝(トレンチ)を堀り活断層を直接観察、過去に動いた時期を絞り込む。次の地震の迫り具合が調べられる。がけなど地層が見える場所が中心だった現地調査に積極的な手法が加わわった。

 当初から取り組んだ立命館教授の岡田篤正さん(67)は「実際に断層が現われたことで、写真判読への批判は薄れた。史料にある地震を起こした断層も分かるようになった。」

 この間、研究者による防災への警告も繰り返された。だが、おきな波とはならないまま、95年を迎える。

 阪神大震災の野島断層は「日本の活断層」に載っていた。92年出版の普及版冊子は、たまたま野島断層を含む図を大きく取り上げていた。横浜国立大で早くから地域の防災に携わってきた太田陽子さん(81)は「ありふれた活断層。どれが動いてもおかしくないとは思っていたが、偶然に驚いた。断層付近は被害を受けると改めて実感した」。

 震災を機に、組織も予算も増強された行政主導の調査が飛躍的に進み、地震発生確率が公表されるようになった。調査技術も発展し、国による活断層地図づくりも始まった。

 一方、地震ごとに活断層のどれくらいの範囲が一度に動くのかといった研究課題は残ったまま。地図にない活断層の地震も続く。松田さんは、「この15年、調査の量は増えたが研究は足踏み。次の時代は、突破口を開く研究が出てほしい」と話す。