先日書店を覗いたら高校世界史の教科書が売られていました。

 が、歴史とは、またその教科書とは何なのでしょうか。

 生起した無数の事実の中のどれを選んであるのか、選ぶ際の基準は何なのか、一つ一つの事象の意味は何なのか。

 

 sablio315さんが、先日次のようなコメントを下さいました。

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 キリスト教が権力支配して以来、宣教師を布教目的に先導させて、植民地化と先住民族の文化をことごとく破壊尽くして行き、それはなおも現在まで民主主義の押し付けを戦争行為と共に行使している。

シオニズムなどはキリスト教以上に強硬な姿勢でアラブと対決姿勢を崩そうとはしない。

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 この視点で、一般に使用されている教科書を書き直したら?!

 

 マヤ文明の滅亡などはもっと大きく採り上げられることになるでしょう。。


 シェークスピアを依然「文豪」と呼ぶことになるのかどうか。

 『ベニスの商人』では、ユダヤ人の金貸しが、極悪非道の人間のように描かれていますが、ユダヤ人というのは誰のことなのか。

 アメリカによるアフガニスタン侵攻が始まったとき、図書館が子供向けコーナーに用意してくれていた本を手にとったら、そのアラブ人の著者はこんな風に書いていました。ユダヤ人はパレスチナで、アラブ人ともともといっしょに平和に暮していたのだが、初めキリスト教を迫害していたローマ帝国が、国教としたときから、ユダヤ人を追放した。

 仮にそうなら極悪非道なのはローマ帝国の政府ということになります。

 土地を奪われ、農民として生きることができなくなった人たちが金貸しをするしかなくなったのだとしたら、そのことをどう考えるのか。ポーシャの機転だけが美しいものとして讃えられているけれども。

 時代的背景・経済的背景をいかに捨象できるかが文学の価値を決める?だとしたら文学は要らない。逆に言うと、そういう文学だけがそのときどきの権力者(の雇っている教授や何とか委員会のメンバー)によって価値が高いもののように宣伝されてきたのかもしれません。