棺のふたを閉めようというときに小学校に入ったばかりの、遺された男の子が泣き始めた。何とも言いようがない場面。子どもをおそろしく愛していた彼女のためには、その早過ぎる死も、逆縁よりはましだったとおもうよりほかない。

 さらに言うなら彼女の心不全は一種憤死という意味合を帯びていたとはいえ、それはいわば“畳の上の死”に近いと、言えば言える。もっと言えば彼女が懸命に売ろうとしていたJIM-ネットのチョコレートの売り上げを送らなければならないようなイラク、携帯だのパソコンだのを必須ではないはずなのに必須のツツールのようにしている“先進国”の贅沢のためにタンタル(と大量の血と)を供給させられているコンゴをはじめとして、世界中で“彼ら”がひきおこしている、もう数え切れない悲劇に較べれば、それは平穏な死ではあったのだ。