どこのメーカーだったか、カップラーメンの容器のどこかに、出荷先を区別するためのマークがついているそうなのだ。西と東で、だしが違うのだという。一方が昆布、もう一方が鰹だったとおもう。

 カップラーメンは、一般市販のものは食べないし、それに類したものは、C生協の“ノンカップラーメン”といって容器を使い捨てにしないで済むものしか買わないので、どうでもいいようなものだが、以前「料理の鉄人」で、道場さんが昆布を使っていないようなのに納得がいかなかった。他人ごとながら気になって仕方がなかった。昆布と鰹節、それに干椎茸を使わないとほんとうにいい味は出ないとおもうのに、ほんとうに昆布を使わない文化圏があるものなのか。

 この点と並んで、昆布の産地として有名なのは北海道なのに、大消費地が北海道といちばん離れている地沖縄というのも、疑問だった。

 少し前にこの疑問に、答えてくれるものではないにしても、ヒントを与えてくれる記事が明けて昨年の11月7日朝日に載った。以下のような説があるのだそうだ。


    昆布が沖縄にもたらされたのは、江戸時代後半のことらしい。ヨウ素を含む  

  食材に乏しく、バセドー病に悩まされていた中国では昆布は貴重品だった。薩摩 

  藩が目をつけて、琉球経由での輸出をもくろんだ。膨大な利益をあげ、蓄積され

  た資金は明治維新の原動力になったといわれる。

   輸出できない二級品や、加工時の切れ端が沖縄に残る。どうしたら食べられる

  か、と考えたところから独自の昆布文化が始まった。

   富山の薬売りの関与を指摘する説もある。琉球にもたらされる貴重な漢方薬を 

  昆布と交換したというのである。昆布締めをはじめとした独特の昆布文化をも

  ち、同様に昆布消費の高いことで有名な富山だけに、昆布ロードの成立を知るう

  えで、興味深い話である。 


 ただ「フードコーディネーター」の嘉陽かずみさんの話だと「高価な食材ですから、煮るにせよ、いためるにせよ、すべて食べつく」すのであって、「内地のように昆布で出汁をとること」はしないのだという。

 昆布巻きはお節以外にはほとんど食べないで、出しにしか使わない―捨てることは避けて、細切りにして他の具と一緒に食べるようにしていたものの―でいたので、この話に胸が痛んだ。

 昆布を、生産している地と、最も大事にしている地の、人と文化をおろそかにしてきたのがこの国の近現代史である。今問題になっている沖縄もだが、色川さんによれば、アイヌの虐待は戦争遂行のための石炭が欲しいためであったということである。

 その沖縄の昆布の消費量は、以前全国平均より高いものの、多食文化は崩れつつあるのだという。「26ショック」といって、沖縄男性の平均寿命が00年、4位から一気に26位に落ちたのだが、これは昆布の消費減と重なっているという。

 出しに使うにせよ、そのものを食べるにせよ、昆布の多食に食生活を巻き戻すこと、そしてその昆布を産する海を放射能などで汚さない産業構造を構築していくことが緊要だ。それは一人ひとりの、日々の投票でかなりの程度実現できるはずなのだ、買物という投票で。