以前幸徳秋水の『基督<キリスト>抹殺論』を読んでショックを受けたーーつまりわたしはひょっとしてクリスチャンだったのだろうかーーということを書いたとおもいますが、例の本にも秋水が書いていたことーーキリスト教は天体の運行をもとにした土俗信仰をもとにつくったフィクションで、十二使徒の12という数字もそこーー星の数か何かから来ているーーと似たことが書いてあるようです。秋水は今日のように出版も通信も交通も盛ん(内実は問題ですが)でない時代にどうやってこの本を書いたのかとおもいます。

 

 仮にキリストがいたとして、世界史で、グーテンベルクの印刷技術発明で、聖書の大量発行が可能になり、神のおしえを司祭からでなく聖書自体から汲みとろうという新教(vsカトリック)が広まったーーと覚えたような気がしますが、印刷前にはどんな聖書があったのか、それは一冊だけだったのか、それとも口承だったのか、だとしたら、Aという人の記憶とBという人とで食い違いがあるでしょう、そこをどうクリアしたのか・・・朝日で、宗派によって聖書を改ざんしているところがあるという記事は読んだことがありますが・・・・


 旧約聖書に書いてあるからというのがイスラエル建国の根拠になっている?でもそのおおもとがまったくの創作だったら?