『アヒンサー』より転載:
原爆も原発も、どちらも<いのち>を殺す
広島の元市長が、事故の後に、「平和利用の原発は推進しなければならない」って発言したそうですね。
この国は半世紀前から、「ノーモア・ヒバクシャ」、これ以上被ばく者を作らないといってきたじゃないですか。でも、私たちは被ばくしたんです。
みなさんも今までは、核兵器はだめだけど、原発はいいといっていたと思いますが、この事故で、「原発も原爆もどちらも<いのち>を殺す」と教わったはずです。そういう眼<まなこ>を持ちつづけて欲しいと思っています。
国は住民を守らない
戦争では国家を守ることが正義だったはずです。でも、国体護持の名目でどれほどの人々が殺されていったか、沖縄戦では、軍隊は住民を守らなかったと聞いていいます。
今、豊かな生活のためにエネルギーが大切だといって、平和利用の原発を容認してきましたが、住民お豊かさの生贄<いけにえ>にして、被ばくを強要していたということだったんですね。、
この事故で分かったことは原子力産業がどれほどいい加減なものだったか、そういうものを安全だと認可したのは国だったのに、その国がいかに無責任だったかです。「原子力のメッカ」といわれた村に、何にも防災がなかったんですよ。「原子力災害は起きない」って国がいっていたから。
臨界事故が起きて、国がしたことは、事故から8時間近くもたって、やっと対策本部を設置しただけです。避難要請も法律に違反して尊重が独断で出したんですよ。
もし、村長が判断をしなかったら、朝までみんな家にいたはずです。中性子線を浴びながら、他の村長だったら、おそらく国のいいなりになっていたと思いますよ。
事故の翌日、国はすぐに安全宣言を出しました。避難要請を出していあないのに、安全宣言を出したんです。
核分裂してでたヨウ素が、工場からまだ出ているのを知っていながらですよ。
それどころか線量の値切りをやりました。放射線を浴びせなかったことにしようと、10月4日に発表した数値を、12月11日に7分の1に切り下げたんです。
私が顔を知っている人で50ミリシーベルトを越える人がいっぱいいるんです。
それば消えてしまいました。例外的に一ミリシーベルト越える人がいるということにしたんです。余りにもひどいじゃないですか。
日本のエネルギー政策である原子力を守るために、一体、どれほどの<いのち>が殺されなければならないのでしょうか。私たちが守らなくちゃいけないのはエネルギーなんでしょうか。