『人間の壁』(小説・映画)に関わるぼくの思い出。
そのなかで、担任だった先生たちのことについて触れた記事を書きながら、知らないことも多く、「佐教組事件」や担任だった「東島万寿雄」先生のこと、ネットで検索してみました。
東島先生の著書
先生には、『わたしの鹿島―50年むかしこぼればなし—』という著書があることを知りました。
調べてみると、佐賀県の鹿島市の「かしま市報」に掲載されたエッセイ集だと分かりました。
どんな内容だろう。鹿島市の図書館には、この本はあるはずだと思い、故郷の鹿島で暮らすイトコ氏に、調べてくれるように頼みました。
早速、図書館で調べてくれた写真データが送られてきました。この本です。
この表紙絵の蒸気機関車は、多良岳山系から流れてくる清流、中川にかかる橋の上を走っている絵でしょう。大正未から昭和初めの頃でしょうか。その頃は街中を軌道が走っていました。現在の長崎本線とは違います。
父の名前が…寄贈した蔵書だった
なんと、この本の表紙裏に我が父の名前があったそうです。
「著者よりいただく 霜村節次」とあります。東島先生が父に贈呈してくださった本と言うことです。

父の名前がここにあると言うことは、この本は父の蔵書だったと言うことです。父は、生前、自分の蔵書を鹿島市に寄贈していました。市の図書館で押した「霜村節次殿 寄贈」の印もあります。(薄いけれど読めます)
我が家には万を超える父の蔵書があり、その本の大半を家を建て替える際に、市に寄贈しています。(かつて古本業者が、我が家に来て「査定」のようなことをしたことがあると聞きました。この蔵書で家の2、3軒は建つと言われたとか。)
市議会の議員をしていた父は、ある時、議員報酬値上げに市議会で一人、反対しました。その市議会での反対演説を読んだことがあります。
一般の労働者(ちなみに市役所の職員報酬)としての賃金を基準にすべきところを、それをはるかに上回る報酬は問題だということを反対の根拠にしていました。
しかし、市議会では議員報酬の値上げが可決され、そのとき、父は値上げ分を返納も考えたそうですが、それは事務処理上困難なことも多かったので、それではと、受け取る代わりに、それで書籍を購入し自分を議会に送ってくれた有権者に還元すること、そのための見識を深めるためにつかう、と議会で発言していました。
新図書館建設に伴い、議員報酬で購入したそれまでの蔵書をまとめて寄贈しています。
もちろん、議員報酬を超える蔵書購入していました。
それでも、まだたくさんの書籍は残りましたが。財産はないけれど、本だけはある家でした。
プロフィールから分かったこと
本の末尾に、東島先生のプロフィールがありました。
それを見ると、先生は、大正6年11月8日生まれ。
我が父は、大正5年2月11日の早生まれ。東島先生は、我が父とは学年で言えば2年下だと言うことが分かりました。
ぼくの小学校5年ころは、計算すると、先生は43歳~44歳と言うことになるんですね。
二人は、同じ旧制鹿島中学校の卒業生。父は本来なら5年卒業のところを中学4年生で上級学校(旧制高等学校)に進学していたので、この二人の間の交流がどのようなものであったか。ぼくには知るすべはありません。
父は大学卒業後、痛苦の従軍体験した戦後、故郷に戻り、社会運動にのめり込んでいました。その頃父のところには(30代半ば)、その当時の若い人々がたくさん集っていたようです。
自分の蔵書を若い人たちに提供する「読書組合」という活動を、我が実家の店先の一画で行っていました。知的な欲求のある藤津郡(佐賀県)の学校教職員も、我が家にたびたび寄っていました。
東島先生は、父とほぼ同世代でしたから、若い教職員とのかかわり方とは違う接し方をしていたようです。難しい局面での相談に二人で話し合ったと言うことを父が語っていたことを覚えています。
その内容がどのようなものだったかは、当時子どもであるぼくには分かりかねましたが。社会運動、裁判闘争のことなどもその中に入っていたのかもしれません。
封建的で、保守的な街のことに憤慨し、それを変えようとの思いは共通したものがあったように思います。
本の序は「五二七先生」だった
本の序を「織田五二七(いふな)」さんが書いています。
この方、織田病院の院長(医者)。序文を読み、東島先生と小さい時からの仲良し(同級生)だったことを知りました。
「五二七」というのは、「三二」と同じで、誕生日が名前の由来。五月二七日生まれの人。
ぼくが「三二」という名前がイヤだというたびに、母が言いました。
「織田病院の先生をみなさい。誕生日が名前でも立派な人ですよ。」
ぼくは、そんなことで、わが名前の「さんに」に納得などいきませんでしたが、織田病院の先生を引き合いに出されたら、何も言えなくなりました。
(いふな先生、わが父の2年後輩だったのか。「さんに」の由来にも関わる名前だったかもしれません。三番目の二男もありますが。)
序文を読めば、東島先生がどのような家庭で育った人かわかります。

目次です。



目次を見る限り、『人間の壁』について触れた部分はなさそうです。

イトコ氏、5月末に東京にまた出てきます。この本は4週間の貸し出し期間があるそうです。その折、持ってきてくれたら読みます。『人間の壁』に関わる内容はなさそうですが、故郷・鹿島のことを知ることはできます。
以下は、東島先生の書いた「あとがき」です。


イトコ氏、5月末に東京にまた出てきます。この本は4週間の貸し出し期間があるそうです。その折、持ってきてくれたら読みます。『人間の壁』に関わる内容はなさそうですが、故郷・鹿島のことを知ることはできます。
≪東島先生とは、帰郷の折、たまたま街中でばったり会ったことがあります。ぼくが教員になって少し経ったころ。故郷の夏祭りの会場で立ち話をしました。教員(校長をされていたこと今回知りました)を退職して、教育委員会で同和関係の仕事をされているという話でした。小学校卒業して、会ったのはこの1回だけ。その後、会うこともなかったのはとても残念です。父母から話を聴かなかったのも悔いています。本を楽しみに待ちます。≫



