新川和江さんが亡くなられました。享年95歳。優しい詩を書く人でした。

 

 

新川和江さんの詩は、これまでブログで二つの詩を紹介しています。

「二月のうた」

 

「わたしを束ねないで」は、茨木のり子、石垣りんの二人との比較で取り上げています。

 

「わたしを束ねないで」は、『教育』2024.8月号のぼくの文章でも引用したばかりでした。

 

この二つの詩を読み直し、他の詩も紹介します。

 

赤ちゃんに寄す

新川和江

 

うす紅いろの小さな爪

こんなに可愛い貝がらが
どこかの海辺に落ちていたらば
おしえてください

光る産毛  柔らかな髪
こんなに優雅な青草が
はえている野原があったら
そこはきっと神さまの庭です

赤ちゃんのすべて
未完成のままに
これほど完璧なものが
ほかにあったら
見せてください

<わたしが生んだ!>
どんな詩人の百行も
どんな役者の名台詞も
このひとことには
適いますまい

吾子(あこ)よ
おまえを抱きしめて
<わたしが生んだ!>
とつぶやく時

世界じゅうの果物たちが
いちどきに実る
熟した豆が
いちどきにはぜる

この充実感
この幸福(しあわせ)

 

母の視点が存分の詩ですね。母ではないぼくには、読んで感嘆することだけ。

 

比喩でなく

 

水蜜桃が熟して落ちる 愛のように
河岸の倉庫の火事が消える 愛のように
七月の朝が萎(な)える 愛のように
貧しい小作人の家の豚が痩せる 愛のように

おお
比喩でなく
わたしは 愛を
愛そのものを探していたのだが

愛のような
ものにはいくつか出会ったが
わたしには摑めなかった
海に漂う藁しべほどにも このてのひらに

わたしはこう 言いかえてみた
けれどもやはり ここでも愛は比喩であった

愛は 水蜜桃からしたたり落ちる甘い雫
愛は 河岸の倉庫の火事 爆発する火薬 直立する炎
愛は かがやく七月の朝
愛は まるまる肥える豚……

わたしの口を唇でふさぎ
あのひとはわたしを抱いた
公園の闇 匂う木の葉 迸る噴水
なにもかも愛のようだった なにもかも
その上を時間が流れた 時間だけが
たしかな鋭い刃を持っていて わたしの頬に血を流させた

 

う~ん。ただひたすらすごいというだけ。

 

ふゆのさくら

 

おとことおんなが
われなべにとじぶたしきにむすばれて
つぎのひからはやぬかみそくさく
なっていくのはいやなのです
あなたがしゅろうのかねであるなら
わたくしはそのひびきでありたい
あなたがうたのひとふしであるなら
わたくしはそのついくでありたい
あなたがいっこのれもんであるなら
わたくしはかがみのなかのれもん
そのようにあなたとしずかにむかいあいたい
たましいのせかいでは
わたくしもあなたもえいえんのわらべで
そうしたおままごともゆるされてあるでしょう
しめったふとんのにおいのする
まぶたのようにおもたくひさしのたれさがる
ひとつやねのしたにすめないからといって
なにをかなしむひつようがありましょう
ごらんなさいだいりびなのように
わたくしたちがならんですわったござのうえ
そこだけあかるくくれなずんで
たえまなくさくらのはなびらがちりかかる

 

「ふゆのさくら」という題名、ひらがなの詩、大らかな愛の詩。

新川和江さんは、ぼくの母たちの世代の女性だったと痛感します。わが母を重ねてしまいます。

 

追悼して、もう少し詩集を読みます。