昨日、不在投票へ

ぼくの住む東京の多摩地域、午後2時過ぎ突然の雷鳴がしたかと思ったら、土砂降りとなりました。

実は、ちょうどそのタイミングで市役所に都知事選の不在者投票に向かっていたんです。もちろん乗用車です。車の乗り降りだけでも、かなり濡れました。

 

異様な選挙選

今回の都知事選挙は、かなり異様なものだったと思います。

掲示板、ポスター、政見放送など異常でした。ちらっと見ただけでも。掲示板のコマを値段を付けて売り出す「ブッコワス」というおかしな人たち。ほぼ裸のポスターを貼りだした候補者、関係者。テレビの政見放送で「わたし可愛いでしょ」しか言わない候補者。ユーチューブの閲覧回数で儲けを図った候補者など。

 

けれど、その影で起こったことで何よりもおかしいのは、政策論争が実現しないこと。候補者が言いっぱなしのみ。

現職が「公務」を理由に、公開討論に応じなかったこと。だんまり作戦で”金メダル”をかすめ取ろうとしていたことです。(5日の新宿街頭宣伝で「金メダルを私に」と叫んでいましたね。その場で声をあげるしかない人たちは「やめろ!」の大合唱で、一瞬、現職知事、押し黙っていましたね。本来なら、マスコミでは、現職のこの姿勢こそ批判すべきです。)

 

 

 

ある一人の知人は、「候補者マッチング」のアプリを使って、自分の考えと合う候補者をさがしたとも聞きました。

これは、実際はかなりおかしい。候補者の掲げる「政策・政見」は、これから先にこうするというもの。一種のアドバルーンになりかねません。何とでも言えちゃうという面が強くなります。

実際、現職知事の掲げた「7つのゼロ」なんてそういうものでした。

その候補者がしてきたこと、そのことを抜きに、選挙公報だけで、投票する候補者なんか選べません。(調べたことで、現職知事以外の人物のオカシサも知りました。)

現職知事ならば、この8年間のしてきたこと、前々回、前回に約束したことが、どうであったかの検討が判断の大きな指標です。逆にいえば、現職知事のこの8年間の施策や姿勢がどのようなものであったか、新たな候補者は、そのことへの態度こそ判断の重要な根拠とできます。

 

そのために候補者間の、丁々発止の討論があることが前提ですが、それは公開ではなく、マスコミでもそのことの違いを深く報道することがほとんどありませんでした。

 

であるから、ぼくは、有力候補者とされる人たちの発言、してきたことを現職知事との比較において検討しました。(結構大変なことでしたが、いろんな多くの候補者のこともかなり調べました。その中から、有力候補ではないという人たちは、現職ととってかわる可能性がほぼないのだから、ぼくのなかでは選択から外しました。)

 

(この「週刊文春」最新号は、歯医者の帰りに寄った小平駅前の喫茶店にありました。これも参考の一つでしかありません。)
 
問題ありの東京都政

ぼくは、この東京都政は、住民のためには極めて問題ありだと実感しています。そのことの報道が少ない。都議会を多数の都民ファと自民・公明で思うがままにしています。批判の排除。(「排除致します」と言った人だったなあ。)

 

東京都の予算は、ちょっとした国家の予算を超えています。その予算支出について、オリンピック関連、巨大広告代理店D通との怪しげな癒着、豊洲・築地での不明朗な経過、築地開発に伴う巨大デベロッパーとの関係。

「晴海フラッグ」(東京五輪選手宿舎)9割引きの払下げでの三井不動産とのズブズブの関係、都幹部の多数の天下り。

都庁建物へのプロジェクションマッピング48億円。

神宮外苑再開発問題、緑の森が消えるのに、ごまかす。

教育関連で見ても、現場管理での強権的な姿勢が強い。スピーキングテスト問題。

三多摩地方の格差。……あげだせばキリがありません

 

こうやって考えると、それらと一番遠いところにいる候補者しか考えられません。全部支持するなどと考えず、現職知事の都政からの転換です。それで迷いなく投票できます。

 

ぼくは、これまで選挙の投票をしなかったことは一度もありません。住んでいる自治体の首長、議員選挙、都議選、国政選挙。選挙権を持ってから必ず行使してきました。

ぼくの投票する基準は明確です。

批判心をもって投票すること。権力を振り回す人物、勢力には投票しないこと。

それは、残念ながら、少数者であることも多く、投票結果につながることは少なかった。けれど、それでよいと考えています。選挙はそうした批判票が存在することによって民主主義としての機能を発揮するからです。

 

だから、昨日の事前投票でも、一択でした。

 

忌野清志郎が朝から歌っています。

♪起きろよ Baby 外はいい天気だ

選挙に行って 投票しようぜ♪(2:13秒)