今週の「虎に翼」の週タイトルは、「女房百日 馬二十日?」です。【ひょんなことから有名人になった寅子(伊藤沙莉)はますます仕事に追われるように。加えて、星朋彦(平田満)の本の改稿作業の手伝いを依頼される】そういう週の展開です。

 

この「女房百日 馬二十日」という諺は<どんなものも、はじめのうちは珍しがられるが、すぐに飽きられてしまうというたとえ>だそうな。
妻は百日、馬は二十日もすれば飽きてしまうとの意から>だと。

 

なんともはやモヤモヤするなあ。もちろん、このドラマでは「?」をつけ、寅子の気持ちを表明しています。「はて?」というこれらの諺の酷いこと。

 

男女にかかわる諺の類には、「はて?」というものが多い。

「男は松、女は藤」、これも酷い。<男は大地にしっかりと根を張る松のようなもので、女はその松にからむ藤のように男を頼りにするものだということのたとえ>。

 

このドラマでは、上のような時代の困難のなかで、生活も支え、仕事にも向き合い、新しい生き方をつくってきたひと(女性たち)が描かれています。そこが魅力なのです。

 

    もやもやうずまきもやもやうずまきもやもや

 

戦後の1945(昭和20)年から、大きく変わってきたはずの日本の社会。特に日本国憲法公布≪1947年≫によって、ぼくの様にその変化の中で育ってきたものには、子どもだったころの周りの人を思い出しながら観ることになります。「ブギウギ」の時代背景もそうでした。

 

1950年生まれのぼくは、近所に戦争で亡くなったと人がいる話はよく聞きました。実際、記憶の底に傷痍軍人の方が物乞いをしている姿が残っています。満州などからの引揚者の方が、山の方で開拓に従事されていることも知っていました。その方たちが、我が家の父のところに、しばしば相談に見えていました。

 

家制度の中で、夫を戦争で失くした女性が、家を守るために亡くなった夫の弟と結婚したという方もいて、近所の同級生はそのお子さんでした。

ぼくの育ったところは、九州・佐賀の田舎町、古い因習が多く残る町でした。

 

だれが教えたわけでもないけれど、ぼくの中にも「男は松、女は藤」のような今日でいえば歪んだジェンダー観がしみついていました。(だからって居直るつもりはありません)

 

「男は辞儀に余れ、女は会釈に余れ」。<男は謙遜しすぎるくらいでちょうどよいということ。女は会釈していればよいのだ。>なんとまあ。こういう価値観が染みついているようにおもぃます。(「辞儀」は遠慮の意。)

 

「女は三界に家なし」。<女はこの広い世界のどこにも安住できる所がないということ。
「三界」は仏教語で欲界・色界・無色界のことから全世界の意味。>

女は子どものころは父に従い、結婚してからは夫に従い、老いてからは子に従うのもので、世界のどこにも安住できる所がないとの意から。

わが母は、30代の後半に結核(脊椎カリエス)で入院生活を5年間送りました。退院してからも5年は寝たり起きたりでしたから、姑さんに対して身の細る思いをして生きていたと思います。

 

「女の知恵は鼻の先」女は目先のことにとらわれ、遠い先のことを見通す思慮に欠けているというたとえ。

ぼくは、周りの女のひとたちには、全くかなわないと思っていた(子どもの時から)ので、上のような考えは思いもしなかった。けれど、こういう考えが浸透した社会は、至る所で感じていました。

どうすればいいのか、子どもの時には何もできなかったけれど。

 

    もやもやうずまきもやもやうずまきもやもや

 

高校生のときに修学旅行がなかった話

ぼくの育っていた佐賀の田舎町ではこういうことが当たり前とされていました。

高校生の時に、2年生では修学旅行に行くことになっていました。県立の共学校。関西・関東の4泊5日。

と言っても、修学旅行に行くのは「女子のみ」。はあ?さて?

男子は、学校に残って、自習の日々。

 

女性の尊重?そんなことではありません。男子たち、学校側に抗議しました。おかしいではないか。男女平等の社会だろう!

この時に説明に出て来た生徒会指導担当のMセンセイが、鼻眼鏡越しに語るのは次のことでした。

 

「おなごは、高校卒業したら、自由に旅行もできない。結婚すれば、更にそうだ。だから、せめて高校生の時に女子だけには旅行をさせえてやるんだ。男子は、残って勉強だ。進学校というものはそういうものだ。」

 

この言いぐさに、ぼくたちはもっと怒りました。しかし、もう旅行費用の積み立て、準備はすすんでいて、高校2年生になっては実際は無理だと分かりました。

結果、来年からはこうした抗議は早めに取り組もうということになりました。

結果として、翌年(ぼくらの高校3年生)から男子も修学旅行が実現(!)しました。それは高校2年生の。前進!?

(と言っても、なんとそれは、高校2年男子だけの阿蘇山バス旅行!修学旅行への淡い思いはそういうことではなかったんだけれどなあ…。男子だけの問題ではなく、全員の問題、学年超えた問題という視点が弱かった、いや、なかったんだなあ。)

 

最後は愚かしい思い出話でした。

けれど、愚かしさは今もあちこちに残ります。遅まきながらでも、おかしいことはおかしいといわなければなりません。