1970年6月23日、忘れられない日。早稲田の学生だったぼくは、その頃出会った人たちとの友情を忘れません。

その頃の日々を確かめようと、同じ6・23に早稲田で会うことになりました。

 

地下鉄早稲田駅から歩く途中にラーメン「メルシー」があります。1970年にもここにありました。懐かしがってはいられません。

 

大学の正門前。かつは鉄の柵がつくられ、自由な出入りが制限されたこともあります。1969年。大学立法、70年安保と「政治の時代」、大学も混乱の中にありました。その時期に青春期を送った私たちの世代は、苦々しい思いも抱えています。だから、早稲田の地には足が向くことはあまりなかったなあ。
(奥の方に大隈銅像があります)

正門前の講堂は工事中でした。

この前を通って大隈会館へ。レストランやホテルもあります。このように変わってから、初めて入ります。

この日、首都圏以外に福岡から、新潟から、群馬からなどもあわせ20人余が集いました。懐かしい話がいっぱい。
 
かつて大学の同じクラスだったTくんも参加していました。仲間であったSくんは3年前に亡くなっていました。合掌。
 
彼が、「サンニに託したいものがあるんだ」と言ってぼくに渡してくれたもの。
 
それは、宮沢賢治の「雨二モマケズ」手帳のレプリ力と、数枚の賢治の原稿の復製。
 
 
 
Tくんは、盛岡出身。高校は賢治も通った盛岡一高(かつては盛岡中学)です。賢治の中学時代に住んだ北山あたりのことを良く知っています。世の中に知られていないこのあたりの事をぜひ歩いてほしいと。かれは、賢治に関する本や資料を数多く所蔵しています。
「自分は、今はもうこれらを活かすことができないので、サンニに活用してほしい」ということでした。
ブログに賢治のことを書いていることに関心を持っていてくれました。(亡くなったSくんもぼくのブログを読んでいたとご家族の方が知らせてくれました。)
 
貴重な資料、有難く受け取りました。
この手帳のこと、読み込んでまた紹介したいと思います。
 
たくさんの懐かしい人たちと会いました。この中には、尾木ママもいました。
今や有名人の尾木さんは大学時代の先輩です。特に尾木さんの弟とは同学年でしたので40代で亡くなった時には葬儀にて会っています。夕方からの「特報バン記者」に出演すると、飛んでいきました。
 
色んな人に会える時に会っておこうと思いました。(大学にはいい思いはありませんが、出会った人たちには感謝の青春の学生時代でした。)