歯は大事だよ。当たり前のことを痛感する日々。
その前に…。「不登校」の子どもたちの会に。
昨日、午前中に地元の清瀬で、「不登校」の子どもたちのことを考える方たちの会に誘われ、参加。
学校というものを切実に考えざるを得なくなった保護者の方たちの声を聴きました。
「学校に行けない」「行かない」我が子と向きあっている人たちの、声を直に聴くと、様々な思いが胸に湧きます。
現場の教師時代に、「不登校」の子どもたちと何人も出会ったからです。そして、保護者の方とも、何度も話したことがあったからです。その子どもたちや保護者の方たちのことを思い浮かべながら、その場にいました。
(我が家の子にも、学校がつらくて行きたがらないこともありました。)
「不登校」の一人ひとりの子どもたちの事情は異なっているけれど、「不登校」問題は、学校に来ない子の問題というより、ぼくは、学校、教室そのもののあり様の問題だと考えてきました。だから、その子どもたちと如何に向き合うかと同時に、本質的には教室のありようをどうするかが、教師であるぼくには突ききつけられていた課題でした。
長い教師生活で、なぜか、担任していた子どもたちが学校に来なくなることは無かった。
もちろん、子どもたちの中には、教室やぼくという担任がイヤだという子もいたはず。けれど、思い出すのは、むしろ、学校に来ていなかった子どもたちが、教室には来るようになったので、その子たちはどうして教室に来てくれたかを、それぞれの子どもたちのことを思い浮かべていました。
このブログでは、担任は離れても、その子どもたちは特定できるので、直にその子どもたちのことについて触れることはほとんどなかったけれど、教室の学び、子どもたちの育ち、保護者協同などを取り上げた時に、少し触れたりしています。
来月、この会に参加するときまで、それらの子どもたち、保護者の方たちとのかかわり方を、いくらかまとめてみようと思います。学校、教室のあり様に関わる問題がいくらか浮かび上がるかもしれません。
歯痛のこと、昨日も
一昨日、奥歯の手術をしました。
家に帰ってからも、まだ出血がありましたが、おとなしくしていました。
昨日、その様子を診てもらうために、歯科診療所へ行きました。その場所はバス、電車を乗り継いでいく小平駅前の医療生協の歯科。(ぼくはこの歯科も属する医療生協の組合員です)
かつては、勤務していた学校(埼玉県朝霞市)そばの医療生協の歯科に通っていましたが、昨年の4月を最後にそこに通わなくなりました。5月からA小学校で仕事を始めてから、通院(月に1度)する余裕が無くなったからです。
もともと歯医者は大の苦手。忙しさを理由にサボりにサボりました。
通院するためには、心に余裕が無いと行かないものなんです。
しかし、その結果が奥歯の手術に…