ことばで遊ぶ、子どもたちと
昨日は、朝早く出て、N区の小学校特別支援学級でボランティア。1・2時間目。子どもたちの学びを手伝います。先々週に続いて2回目。
ぼくにできるのは、ことばで遊ぶこと。
子どもたちは心待ちにしてくれていました。
朝の会からの子どもたちの様子を見ます。yuko先生が、とてもやわらかに関わっていて、その場いるぼくも幸せな気もちになります。
ひとりの子が、読んでいた本をしまうことになった時、すねてしまいました。
ぷんぷん怒っています。
先生たちは見守っています。
お隣の男の子が、やさしく慰め始めました。その関わり方が、先生たちの普段の関わりを想像させます。優しさはブーメラン、(イジワルもブーメラン)かつてのぼくが感じたことがここにありました。優しいかかわりが、優しさを生む。
その子の気持ちをむりやりシャットダウンするようなこともなく、授業に迎えていました。
「さんに先生の登場です」と紹介されました。ひとりの子が、この前にやり取りしたことを、絵やことばにして手紙を書いていました。
そこにバナナの絵がありました。「すきなものはなんですか?」との質問の「バナナです」と答えたことを覚えていてくれたのです。
ヨカッタ。昨日は、🍌バナナを持っていったのです。
まど・みちおさんの「バナナのじこしょうかい」を、遊ぼうと思っていました。
事前にyukoさんとの打ち合わせをして、パワーポイントデータを送っていましたが、そのパワ-ポイントが、素敵に変わっていました。
「そうだ村の村長さん」、「たいこ」、「きもち」などたくさん遊びました。
2時間目終って、帰るとき、子どもたちが寄ってきてくれました。みんなとハイタッチ。
「また来てね~」の声に、ほっこりして、学校を出ました。
歯医者へ、(屠殺場にひかれていく牛の気分に…)
午後からは、歯医者でした。電車で移動している間に、しあわせな気もちが消えていきました。
5月末に左下の奥歯の根元(歯茎)が腫れました。歯科医院に行ったら、臼歯の根元の部分(二つに分かれています)の片方が腫れていて、その部分を抜くということになりました。
金属のかぶせものをとり、歯を二つに切り取り、その腫れている方を抜くというのです。聞くだけで恐ろしい。半分は残すというのだけれど、そんなことができるの?
向かう電車の中では、しあわせ気分は消え、屠場に向かう牛の気分でした。
治療席に座り、先ずは歯科衛生士の人の問診など。
そのとき、「あら、シモムラさん、ご年齢は70歳を過ぎていらっしゃるんですね」と突然声をかけられました。「まだ、50ちょっとくらいかと見てました」「声もお若いし」
イヤイヤ、ぼくは、「そんなこと言ってもらっても、何にもあげられませんよ、ははは…」
でもこれで少し気持ちがよくなりました。(あれっ、このことばかけ、ぼくの不安を取るためのリップサービス?)
麻酔の注射、何やら機械で歯を切り取るウイ~ンという音、それからペンチみたいなもので歯をゴリゴリと取り出す感じ、更にゴシゴシと残ったらしい歯をこそぎだす、そして、歯茎、歯肉の部分を糸で縫う…自分では見えてはいないけれど、想像しながらの長い時間でした。
出血があり、ガーゼを嚙みしめて長い時間待ちました。えらいなあ、自分、そう言い聞かせながら。
今日は夕方、消毒・治療でまた歯科医院へ。
午前中は、地元清瀬の不登校の子どもたちのことを考える保護者の方たちの勉強会に参加します。「やわらか本」を読んでくださった方から声をかけてもらいました。マジメでしょう?(前日、「サラリーマン」に行っておいてよかった。昨日も、今日も禁酒です。)
「学びをつくる会」6月 例会案内
6月15日(土)
どなたでもお出で下さい。学びと語りの会です。