慌ただしい日々。そんなときに、詩を読もうと思います。学校現場にいた時は、短い時間を見つけてしばしば楽しみました。「デザートのように」詩を味わいます。
さて、教室などで読むとき、どういう風にむきあってもらおうかと、それを考えることが楽しいかった。カタくいえば、教材研究ということなります。
ここでは、題名を伏せて読みます。その題名と同じことばを詩の中の2か所を伏せました。
「 」は何だろうと考えるときに、詩のことばや構成に目が向きます。
( )
新川和江
おじいさんと
わんちゃんが
朝の おさんぽ
いつものかどで
わんちゃんは
あと足を かたっぽあげて
おしっこです
おじいさんは
( ) まってあげます
けっして くさりを
ひっぱったりしないで
つぎのかどでは
おじいさんが 立ちどまり
「おう 咲いたな」
かきねごしに こぶしの花を
しみじみ ながめます
わんちゃんは
( ) まってあげます
けっして くさりを
ひっぱったりしないで
こずえの上に
やわらかな空が ひろがっている
春の朝です
登場するのは、「おじいさん」と「わんちゃん」で、一緒に散歩です。
おじいさん********わんちゃん くさりでつながっています。
1は、わんちゃんのおしっこの場面。それを、おじいさんは待ちます。
2は、おじいさんがこぶしの花をながめます。それを、わんちゃんは待ちます。
1は、おじいさんは ( ) まってあげます
2は、わんちゃんは ( ) まってあげます
おじいさんも、わんちゃんも どんなふうにしているのだろう。
( )のことばは?(このなかのことば、一番最後に記します。)
新川和江さんの詩は大すきです。有名な詩。自立への志向性。
わたしを束ねないで
わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音
わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮 ふちのない水
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
,や.いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
自らを「稲穂、羽撃き、海、風、川」にたとえて、精神の自由を謳っています。そこに描かれているのは、何物にも縛られない、どこまでも拡がっていくような心。
「教育」誌の2024年8月号に原稿を書きました。(入稿終えたので発行日は7月10日)その中でこの詩を引用しました。
ひらがなの優しい詩もありますね。
ふゆのさくら
おとことおんなが
われなべにとじぶたしきにむすばれて
つぎのひからはやぬかみそくさく
なっていくのはいやなのです
あなたがしゅろうのかねであるなら
わたくしはそのひびきでありたい
あなたがうたのひとふしであるなら
わたくしはそのついくでありたい
あなたがいっこのれもんであるなら
わたくしはかがみのなかのれもん
そのようにあなたとしずかにむかいあいたい
たましいのせかいでは
わたくしもあなたもえいえんのわらべで
そうしたおままごともゆるされてあるでしょう
しめったふとんのにおいのする
まぶたのようにおもたくひさしのたれさがる
ひとつやねのしたにすめないからといって
なにをかなしむひつようがありましょう
ごらんなさいだいりびなのように
わたくしたちがならんですわったござのうえ
そこだけあかるくくれなずんで
たえまなくさくらのはなびらがちりかかる
鐘楼の鐘(しゅろうのかね)⇒その響き
歌の一節⇒その対句
一個のレモン⇒鏡のなかのレモン
ひらがなの詩にはやわらかさをより感じます。
《最初の詩の題は(ゆっくり )です》
昨日から静岡・富士市来ています。日曜日の朝、ブラさんにしてみます。