先輩の岩辺泰吏さんから何やら本が送られてきました。

なんなんだろうと思って封を開けると、「やわらか本」についての普及への”ご褒美”として、賢治の本3冊が入っていました。

 

本『イーハトーブ農学校の賢治先生』魚戸おさむ・作

 賢治が最も充実していた時期は、新設の農学校の教師だった時です。その賢治の様々なエピソードが満載です。

本『宮澤賢治のレストラン』中野由貴・文/出口雄大・絵

 賢治の作品にはたくさんのたべものが登場します。そのたべものを、作品とともに紹介するエッセイ。

本『宮沢賢治、いしぶみの旅』財団法人宮沢賢治記念会

 賢治の石碑はイーハトーブにはもちろん、日本全国の関連地に建てられています。石碑の写真と解説書。

 

おお、なんと。

「一番良い人にもらわれてくれるとうれしい」と、ことばが添えられています。ぼくは岩辺さんとも何度もイーハトーブ(岩手・花巻)を尋ねている賢治の愛好者ということが知られています。

 

ぼくが一番かどうか、心もとないけれど、大事に読みます。

早速、寝ても覚めても本を持ち歩き、開いてみています。サンタさんからもらったプレゼントを手から離さない子どもみたいです。我ながらヘンですが。

 

 
教師・宮沢賢治に最も関心があり、そこについて調べたらりしてきました。
この魚戸おさむ『イーハ―トーブ農学校の賢治先生』本は、佐藤成さんの本『証言 宮澤賢治先生~イーハトーブ農学校の1580日』に詳細に書かれている教師・宮沢賢治の実像に迫るをもとに、漫画として描かれています。本棚から引っ張り出して、「証言」本の記述と引き比べながら読んでいます。
証言集は500ページを超える本、数多くの教え子たちの語りが載せられています。
 
魚戸さんは、佐藤成さんに監修してもらっているので、賢治の実相に迫っています。
 
 
この『証言  宮澤賢治先生』の「イーハトーブ農学校の1580日」という副題は、賢治が稗貫農学校(途中改名した花巻農学校)の教師として、4年4ヶ月、1580日を過ごした日々の詳細な生徒たち、またその時に関わった人々の証言が綴られています。魚戸さんは、それを漫画として描きました。
 
賢治は37年間の人生で、教師であった時期に精神の高揚もあり、また健康を保持していて、活発に詩を書き、童話を書き、教師時代に2冊の本のみ(心象スケッチ集『春と修羅』、イーハトーブ童話主『注文の多い料理店』)を出版発行しました。
 
教育者であった賢治に着目している本には、畑山博『教師 宮沢賢治のしごと』、鳥山敏子『写真集 先生はほほ~っと宙に舞った 宮澤賢治の教え子たち』という優れた本があります。この本を何度読んだことか。
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教師・賢治について触れた2人のことば

井上ひさし氏のことば。

「女学生から「桑ッコ大学」と呼ばれた小さな農学校で、あなたは教壇に立った。一緒に考え、一緒に働く先生だった。

精神歌や応援歌を作り、オペレッタも上演した。

岩手山やイギリス海岸に生徒を引っぱってもいった。

子どもたちのまわりを乱舞しながら、詩を書き、童話を書いていた青年教師。

よく似ている。

北国の春があらゆる花を一度に咲かせ、すぐに夏になるのと……。」(『宮沢賢治に聞く』井上ひさし編著より)
 

 

畑山博氏のことば。

「賢治の弟子の人たちはみんな「賢治先生はおもしろい先生でした」といいます。その六十年前の記憶をたどって話をうかがって、それを集めたのが『教師 宮沢賢治のしごと』という本です。

賢治はどういう教師だったのでしょう。生徒さん方の賢治について話す言葉の中で私が一番好きなことのひとつが「君にはこうなってほしい。君にはこうなれる”力”がある」という前提に立って賢治が話しかけていたということです。」

 
魚戸さんの本の目次です。
これを見るだけで、50数回のイーハトーブへの旅の思い出や、賢治作品群を思い出します。
 
描かれた場面とそれに添えられた文を読んでいると、若い教師、賢治の思いが胸に迫ります。不覚にも胸にこみあげて来るものがあり、途中で詰まってしまいます。(ぼくの個人的な体験や感情が送させるのです。)
 
イーハトーブ農学校で、思いのたけをぶつけ仕事をした賢治。
しかし、そこを去ることにしたのは、当時の先駆的な実践への「社会的な圧」でした。(このことは現代日本でも同様なことが行われます。例えば奈良教育大付属小への圧力もそうです。)
 
学校を辞することを決めて、教え子たちに語った詩『告別』。
  おれは四月はもう学校に居ないのだ
  恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
 
  なぜならおれは
  すこしくらゐの仕事ができて
  そいつに腰をかけてるやうな
  そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
 
ぼくは、現場の教師だった時に、このフレーズを何度呟いて、賢治の思い受け止めようとしたことでしょうか。
この度自費出版した『やわらかな教育をもとめて』のなかでも、最後に”教師・賢治”の項をとり、そこで書いたことは賢治の想いの継承という意味でした。
 
    生徒諸君によせる
 この四ヶ年が
    わたくしにどんなに楽しかったか

 わたくしは毎日を

    鳥のやうに教室でうたってくらした

 誓って云ふが

    わたくしはこの仕事で

    疲れをおぼえたことはない

 

教師賢治が「この仕事で 疲れをおぼえたことはない」と言い切ったのは、「この仕事」を自分の意志と選択で決めたからでしょう。意味の見えない、生徒・子どもにただ注入し、思う方向にだけ誘導する「ほかの仕事」・「学校教育」を拒否してきたからです。(賢治の場合は、それを敵対的に行ったのではなく、ゆかいに、面白く、創造的に、生徒に優しく行いました。実践の中身で理解者を増やしました。)

それはどれほど大変なことでしょうか。今のスタンダードがはびこり、同調性という圧力が強いなかでは、多くは、現場で苦渋の思いで「みんな同じこと」の圧力になびいて行かざるを得ません。

 

しかし、歯ぎしり(*)しながらも行き来する、ぼくはあえて新学期のこの時期、せめて精神においては教師・賢治の様でありたいと思います。これだけは譲らない軸になるものを求め続けましょう。そういうつながりを索ねましょう。精神において気高くしていないと、自分が壊れかねない厳しさがありますから。

(ぼくが現役の時、そしてムボーなジサマセンセイをできたのは、胸のなかにいつも賢治を棲まわせていたからでした。)

 

《賢治のことばより》

いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を

つばきし はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ

(「春と修羅」より)

 

岩辺さん、勇気をもらいました。ありがとうございました。近く、わが故郷の酒(「鍋島」が有名ですが、田舎の友人の酒蔵の酒もあります)を酌み交わしましょう。