学校の新学期、もう始まった学校(子どもたちが来るという意味)、明日から始まる学校。慌ただしい日々。期待と不安のないまぜになった中で、先ずは会議、会議ですね。

 

スゴイ連絡が来ました。(地域、固有名はここではあげません。)

爆笑さん(もうベテラン)からの電話で聞いた話です。

 

月曜日(4月1日)に着任した新任(新卒)の教員のひと。2日目、3日目、4日目と慌ただしい打ち合わせなど、分掌会議、新任指導のシステム確認で、周りから見ると大変そうだなアと見ていました。

けれど、今の学校は迎える学校の教職員の側も、年々忙しくなっていて、声掛けは十分できません。それでも、同じ学年になったので、昼などに食事しながら声を交わしていました。

 

5日目(金)の朝、その新任の女性が学校に来ない、連絡もない。どうしたんだろうと思っていると、その母親という方が来て、校長室で長い話がはじまりました。

2日目に家に帰ってきた彼女が、自分はもう仕事ができないと言って泣き出し、とうとう、金曜日の朝にはベッドから出てこないと。

そして、母親は「もう教職を辞めますと本人が言います。私も辞めさせます。」と泣きながら話し出したということに。

 

爆笑さんはじめ、学年メンバー(4クラス)は、えっ!と声もなかったそうです。短い期間ですが、少なくとも、そうしたそぶりは全く見せていなかったのです。

 

退職するにしても、手続きもあり、更に月曜日には始業式。担任がいないまま始めることはできず、と言っても、今、あちこちの学校には教員不足が慢性的に生じています。

市教委としても、新たな人を当てるめどもなく、学校内では専科の人を担任に充てることにしました。(その専科の人の授業は、各学年の担任が持つしかありません。)

 

     アセアセ アセアセ アセアセ

 

これまでは子どもと会って数日で「自分にはできない」と言って辞めた人話は聞いたことはあったけれど、子どもにも会わずに最短で辞めるなんて…。う~む。

この状況は、じつは新卒の人だけの問題ではないと見ています。

 

経験のある人たちでも、休みたい、辞めたいという人が実に多いんです。

暫く連絡ないなあと思っていると、「教員、辞めました」という連絡がしばしば来ますから。

 

ぼくは、昨年、外からの支援ではなく実際に学校現場(担任です!)に入ってみて、今の学校の窮屈さを身をもって知りました。「働き方改革」などという掛け声の下、様々な変化が起きていましたが、それにも関わらず、現場(学校)は自由が無くなっていると強く感じました。

教育の実践内容にも、その展開にも強い枠がはめられ、それへの忖度なしには現場に立つことができない気分が覆っていました。教師であることをオリジナルに愉しむ、教師以外の自分を見つめることが両立しない。

 

特定の人(管理職など)が圧を加えていなくても、学校(学年、教室)が「みんな一緒に」ある方向しか向いていない気分が覆っている重苦しさを痛感しました。

有形無形の強い「圧」。だから、内側から風穴を開けることは難しいようです。

 

とすれば、ぼくの役割は、外から酸素いっぱいの自由横溢の風を送ることです。ぼくの「駆け込み寺」活動はそういうものです。

 

    キラキラ キラキラ キラキラ

 

明日からの週には、「行ッテ」(賢治風)活動2つ。

①全生園のガイド…11日(木) 新任・着任した小学校の教員たちを夕方から案内。そのために資料を作り直しです。

②和光鶴川小の自主研究会…13日(土)13時~15時 「ことばを文字にとじこめない」の実際、「漢字のまなび」、「やわらか本」、教材データの提供など、リクエストに応えます。

 

*ほかにもリクエストあれば、様々な形で応えます。「行ッテ」話もしますよ。

*教材実践データは多種あります。

 ・1年生、2年生、3年生の1年間の学級通信『らぶれたあ』全スキャンデータ

 ・ことばを文字にとじこめない(300項目)

 ・ことばあそび10選シリーズ(①~⑥)

 ・ひらがなの学び(あそび)の実際

 ・漢字の学び(考え方、1年生、2年生、3年生個別に)

 ・各学年の教材実践データ(「ふきのとう」「春のうた」など)

 ・作家、詩人(谷川俊太郎、阪田寛夫、くどうなおこ、宮沢賢治、草野心平…)

(とにかく、相談ください。Line、メール、電話など)

 

困ったときに、学校の外に駆け込む場所を持っていましょう。ぼくだけでなく、いろんな人につなぎます。データリクエストなどは以下に。ミニ学びのリクエストもどうぞ。

   → shimomura-sanni@jcom.home.ne.jp  しもむら・さんに

 

桜    桜   桜   桜   桜
全生園のなかをブラ歩き。今週は桜の花、満開。
3万本の樹木、それらはここで暮らした人たちが植えたもの。
桜の並木もそうです。70年前に、自分たちがいなくなっても、この場所で桜を愛でながらここで暮らした人たちがいたことを思ってほしいという願いをもって。