春のうた
草野心平
かえるは冬のあいだは土の中にいて
春になると地上に出てきます
そのはじめての日のうた
ほっ まぶしいな。
ほっ うれしいな。
みずは つるつる。
かぜは そよそよ。
ケルルン クック。
ああいいにおいだ。
ケルルン クック。
ほっ いぬのふぐりがさいている。
ほっ おおきなくもがうごいてくる。
ケルルン クック。
ケルルン クック。
1.かえるの視点
春、冬眠から目覚めたかえるの喜びのうた。かえるの視点で書かれています。
だから、この詩は自分があたかもかえるになったように読みます。このかえるになったつもりで…というところで、ぼくは子どもたちにこう語り始めます。
【 サンニの語り】
「さあ、今この瞬間からみんなかえるだ。チチンプイプイッ!。ぼくがみんなをかえるにしたのだ。強力マジックだよ。」(サンニマジックは強力なのだ~)
(ナンダヨー、トツゼン、などという声があっても、ここはいい意味で無視します。語りはゆっくり、穏やかに。脳内には静かな音楽が流れているイメージ)
「みんなは、ことばも蛙(かえる)語しかしゃべれないんだ。
時はだんだん涼しくなる秋。食べ物もなくなってお腹(なか)がすいてるけれど、からだは次第に動かなくなってきた。
冬を前にみんなは土の中が、何故か恋しくなる。土の中に潜ろう。机の下が土のなかです。机の下にもぐって、もぐって。(ケロケロ、嫌だなあという子もいるけれど、まあそうは言わずに…)
ほらほら、のんびりしてると霜がおり、氷も張る。雪も降りだすよ。そのままじゃあ、死んじゃうぞ。
そう、みんな土の中に入ったね。」
「何だかみんな、うつらうつら、夢を見ているようだ。ねむい、ねむい。
土のなかは、外に比べて暖かいなあ。冬眠(とうみん)っていうけれど、かえるは完全に眠っているんじゃないんだよ。半分眠っているんだ。」
「もうどの位、夢見ていたんだろうか。
(ここでジングルベルの音楽を♪ハミングでうたう)
きっと今ごろは、人間の子どもたちはクリスマスのプレゼントをもらってるかもね。お正月もなくて、かえるのぼくらは土の中に。悲しいなあ、かえるは。」
ここらで、子どもたちはブーブー文句を言いだします。
「苦しいよ~」、「もうかえるやめたい~」
ぼくは、あえて無視して語りを続けます。この‟もうイヤだ”という感情を引きだしたいからです。こんな状況を脱け出したいという思いが、かえると自分を一体化させます。
語りを続けます。
2.外に出たいよ
「外はまだ雪がたくさん積もっています。
まだかなあ、まだかなあ。外に出たいよ~。」
「あれっ?何だか、土が少し暖かくなってきたような気がする。出たいなあ、外に。みんなもそう思うだろう?(「思う!」と子どもたち。)
みんな、外に急に出ると、何があるかわからないぞ。雪がいっぱいで凍え死んでしまうかもよ。」
3.土の中から出てきたかえる
「そうだ、そおっとちょっとだけ、頭を出してごらん。そう目玉だけだすような感じで…。ほら、何が見える?何を感じる?」
「どう思う?」
「見えるものは——?」
「おひさま」「太陽」という子どもたち。
「だってまぶしいんだもん」
「青空が見える」「雲も浮かんでる」
「感じることはないかな?」
「あったかいなあ~」「風が気持ちいいよ」
ここらで子どもたちは、座席についてもらいます。
4.人間語で表現
こう語りかけたあと、子どもたちにかえるになって、「春のうた」の冒頭の二行を表現してもらいます。ここは人間語だけど。あくまでかえるになって、ね。表現の面白さを感じましょう。
「ほっ まぶしいな。」
「ほっ うれしいな。」
5.かえる語で表現
「うんうん、いいね。じゃあ、それをかえる語で言ってくれますか」
「お日さまが、ああ、まぶしいなあ」(→これを「ケルルン クック」というかえる語でやってもらいます)
「長い、長い闇の中から出てこれた」「生きていてよかった」「友だちにもあえた」(→さまざまな「ケルルン クック」)
「みずはつるつる、ながれてる」(→「ケルルン クック」)
「かぜがやさしくそよそよふいている」(→「ケルルン クック」)
かえるになりきることによって、深い、感動の「ほっ」が音声表現されます。かえる語で表現すれば、更に、何を見ているか目線を意識し、空気の暖かさ、においも感じ、生きていた喜びに浸って音読できるでしょう。何よりたのしい。
7.「いぬのふぐりってこんな花だよ。」
写真を見せる。
<いぬのふぐり> <おおいぬのふぐり>
お上品なぼくは、「犬のふぐり」の「ふぐり」の意味について、さらっと説明します。さらっとでも、子どもたちは“ギョエ~ッ”と大騒ぎでしたが。
8.「くも」って、雲? 蜘蛛?
~「おおきなくもがうごいてくる」とは
「この“くも”は、空に浮かぶ雲(くも)かな?それとも、お腹すかせた蛙の大好物のえさの蜘蛛(くも)かな。どっちだと思う?」(手をあげてもらったら、空の雲派がやや多かったけれど、餌になる蜘蛛という子たちもいます。)
空の雲だと、目線は上を向いて、「おおきなくもがうごいてくる」という大らかな音声表現になりました。
それに対して、蜘蛛だと、目線は下です。かえるは腰を落とし、蜘蛛に気づかれないようにかくれて、しめしめ、うまそうだなあという思いで、声も潜めて「おおきなくもがうごいてくる」と待ち伏せする感じになりました。
どちらが「正しい」と決めつけず、自分の読みの解釈で表現を工夫します。
💛💛💛💛💛
9.「えぼ」をよむ
もう一つ、かえるの視点で一人つぶやく詩『えぼ(かえる)』(草野心平)を読むことによって、また表現が多様になります。教師が読んで、聞いてもらいました。
「春君。」とあるから、呼びかけるように。(事前にちょっと練習しましょう)
えぼがえる(いぼがえる)の独り言です。
えぼ
草野心平
いよう。ぼくだよ。
出てきたよ。
えぼがえるだよ。
ぼくだよ。
びっくりしなくてもいいよ。
光がこんなに流れたり崩れたりするのは。
ぼくがぐるぐる見廻してゐるせゐではないだろ。
やりきれんな。
真っ青だな。
匂ひがきんきんするな。
ほっ雲だな。
それでもこっちでもぶつぶつなんか鳴きだしたな。
けっとばされろ冬。
まぶしいな。
青いな。
やりきれんな。
春君。
ぼくだよ。
いつものえぼだよ。
ここでは、「雲」とあります。
でも、「春のうた」での「くも」の解釈で「蜘蛛」と考えた人がその考えを変えることはありません。表現を楽しんだのだから。
①、②、③のデータをリクエストください。
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さんにゴリラ(霜村三二) まで
パソコンにリクエスト(ほかのデータ)なども来ています。
本日まで札幌です。夕方には東京です。