三二という名前の所為で、青年時代まで、いい思いはありませんでした。
九州佐賀で生まれた子ども時代は、我の強い、天邪鬼な子どもでした。
でも、シャイな面も強くありました。「サンニ」なんて名前で呼ばれると、自分を閉じ込めてしまっていました。
名付けた父は故郷では風変わりな生き方をしていました。(子どものころはその意味がわかりませんでした。)東京での超のつく”エリート”の道を捨てて、家業(履物業=町の中で下駄屋と呼ばれていました)に関わっていたけれど、商売熱心というより、社会運動に熱中するその町では”有名人”でした。その子ども、3番目の2男。3月2日生まれ。(実は名前の由来は、この2つにあると言っていますが、父の思いには別の意味があり、それがたまたま2つとひっかかっていたことは、父もあまり話さぬ内緒の事でした。)
よその人には、必ず「三二」という名前の読み方と「サンニ」の由来もを聞かれました。ぼくは、それがイヤでたまりませんでした。学校は、名前が付きまとう場所だったので、自然と口を閉ざすことも多かったし、赤面症的な様相もありました。
「サンニ」でよかったと思うようになったのは、大学卒業後に児童文学者協会事務局に3年余勤務した後、教員になってからでした。
子どもたちは「サンニ」という名前をすぐに憶えてくれました。横棒を5本ひくだけの名前です。
名前を知ってくれるといいのは、実はその人への関心を持つことなので、この名前でよかったと、やっと思いました。それまでは、内心すこし父を恨んでいたんです。
昨日の誕生日、愉快なメッセージを送ろうと思いました。ブログ内容がそうです。気恥しいんですよ。
たくさんの人からSNSなどでお祝いのコメントをいただきました。幸せ者です。「父ちゃん、母ちゃん、ありがとね」と西の方面の空に手を合わせました。
3月2日は、家から外に出ずに過ごしました。家人のお出かけで久米川駅まで車で送っただけ。
ずっと配本業務です。
仕方なし、自分事ですから。本の形になるまで任せっぱなし、その後のファイル管理も四苦八苦のジサマです。時間をかければ何とかなります。
その代わり、家の中は「何屋さん?」という状態です。
![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/027.png)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240303/09/sanni1132/3b/ad/j/o1080081015408475558.jpg?caw=800)
本日は、更にもう一つの顔、「怪しい東部屋」(居酒屋交流:立川場所)の親方稼業。
いま話題の奈良から、Y氏とTさんが東京の研究会に出て来るので、夕方から歓迎の交流会です。
さて、また配本業に戻ります。朝からさあざまな連絡が来ています。ブログアップなんかしてるどころじゃないよ。