「たぬきの糸車」を読む⑤ 視点を問う
視角を明らかにする
視点・視角とは、カメラでいうところのどこからその画像・映像を撮るかというアングルのことです。文にもそうした視点・視角があります。「文の視角・視点」です。
その視点を考えていくと、描かれた表象(イメージ)が豊かになります。
以下の文で、そのことを考えます。
<本文より>
ふと気がつくと、やぶれしょうじのあなから、二つのくりくりした目玉が、こちらをのぞいていました。
1つ目の問い 「だれが、ふと気づいたのか」
ここでまずはっきりしておきたいのは、「だれが、ふと気づいたのか」ということ。子どもたちは「おかみさんだよ」と当然のようにいうでしょう。
あえてわかりきったことを確かめるのは、この文の場面の表象(イメージ)をよりはっきりさせるためです。
つまり、この場面で、文の視角(視点)を明らかにするための問いなのです。文には、その表象は「誰の側から描いたものか」ということがあります。
視角というのは、カメラでいえば、どちら側から写真を撮るかというアングルのことです。
文章にも視角があります。その視角を明らかにすることで、描かれた表現がはっきりしていきます。
おかみさんの側から見たこと
おかみさんは、ここまで糸車を回し、糸をつむぐことに集中していたのでしょう。
「ふと気がつく」というのは、見ようとしてみたのではないということです。何とはなしに顔をあげたときに気づいたのです、「二つのくりくりした目玉」に。
子どもたちは、たぬきがのぞいていることは知っています。だけれど、この文では「たぬき」とは言わず「二つのくりくりした目玉」と言います。
2つめの問い 「なぜ二つの目玉と書いたのか」
そこで2つめの問いです。
「たぬきがのぞいていたのに、なぜここでは目玉と書いてあるんだろう」
子どもたちは、「おかみさんから見たら、見えたのは目玉だったんだよ」と答えました。この「おかみさんから見たら」ということこそ、文の視角です。おかみさんの側に視点をおいて書かれた文です。
このようにおかみさんの側に寄り添って読んでいくことによって、たぬきのことを「かわいいなあ」と共感して読むことになっていきます。
1年生の子どもたちに「視点」「視角」という言葉を使って読むことはできませんが、「おかみさんの気持ちになって読む」ことは出来ます。
表現されたことばをていねいに読んでいくと、誰の側から語っているかという視角に気づくのです。
やぶれしょうじのあな・・・
子どもたちは、「しょうじがやぶれていること」、「あながあいていること」は分かります。
ここの表現をもっとイメージしてみます。描かれていることが分かるということ(描写形象)だけでは、名タンテイにはなれません。
早速、子どもたちとタンテイします。
家の中は? 家はどんな家? 外は? 見えるものは?
*きこりのふうふがすむ家の中は少し明るい
*外はくらいだろう
*月は明るい
*古い家
*ぼろぼろな家
*しょうじの外は風もふく
*あまりつかわない家 ……
「きたないところ」って?
子どもたちは、きこり夫婦の貧しさをイメージするようです。ここは考えておかねばなりません。「きたないところ」と発言する子もいます。ここは正しておきます。
貧しい=きたない、ではありません。つつましくくらすことがあるのです。
「おかみさんはどんな人?」という問いのなかで、「はたらきもの」ということを明らかにできたらいいな。ものが少なく、粗末ではあっても、きちんと整えられた家の中のはずです。
昨日は、午後からハンセン病資料館へ行き、「ハンセン病と人権」セミナーに参加してきました。会場には70~80名の方がいたでしょうか。
時間が短かかったのが残念。会場に、江連さんの授業を受けた若い人が3人来て、江連さんとのパネルディスカッションが聴けたことがよかった。
若者3人が、いづれも語っていたのは、実際にハンセン病療養所のフィールドワークに来たことが大きな意味を感じたということ。
ぼくは「知らないことは罪である」というやや大仰な言い方をしてきましたが、やはり、たくさんの方を全生園に案内してきたことは、改めて意味があったと感じていました。
園内も、少しづつ立ち入り禁止場所が少なくなってきています。また、リクエストあれば、案内します。
昨日「黒髪校問題での伯父(蒲池正紀)の「演説」資料―1955年(昭和30年)1月29日、熊本市公会堂における真相発表大会―」(21ページ)のデータをまとめました。
熊本市の黒髪小学校での、PTAによるハンセン病「未感染児童」入学拒否事件について、当時、入学賛成派と反対派が対立し、国会でも取り上げられた大問題。
このことで、賛成派の代表だった蒲池正紀(ぼくの母方の伯父です)の「演説」内容を書き犯したもの。長いので、途中途中にコメントや説明を入れました。
この「真相発表大会」の事など、ぼくが当時知る由もなく、また、その後も誰からも教えられずに来たものを、50歳過ぎてから帰省した九州・佐賀の実家で、大量の蔵書から見つけた1冊の本から書きうつしたものです。
その後、蒲池正紀という伯父のことをあれこれ知ることになったきっかけの本です。
ブログに紹介したものですが、今回まとめなおしました。希望の方には送ります。