「モチモチの木」の教材を授業者自身が読むことの重要性を、ぼくは何度も語ってきました。これは「モチモチの木」に限ったことではありません。

 

現場で行われている新任研や校内研修で、授業の公式的な方法だけに特化して、肝心の教材を自分が読むということが軽視されている実態を、ぼくは苦々しく思っていました。

 

ぼくのところには、「物語教材のデータを送ってほしい」という連絡がしばしば来ます。もちろん、リクエストにはいくらでも応えます。その際、その人たちに例えば、”「たぬきの糸車」の教材文を何回読みましたか”と質問してみると、多くが”一、二回です”と返事が来ます。一、二回ですかぁ~と、ぼくは気が抜けます。それじゃあなあ…。

そして、”指導書に授業展開、教材分析があるので、それに従って進めれば困らないからです”、そんな言葉も返ってきます。

 

わかります。多忙な日々、自分で教材を分析して授業をつくることなど時間がないのです。経験も足りません。だから至難の業だということ。

さらに、自分で工夫しようとすると、指導教員や管理職などから、「指導書に従って進めること」が強く(つよ~く、厳しく!!)指導されます。指導案など、その指導書にそって書くことを求められ、自分が書いた指導案は”血まみれ”(朱の入った修正)になって戻って来るとも言います。たかだか「案」でしかないのに、ものすごくそれをありがたがる心性も培われてしまいます。

 

こうしたことを求める人たちは、言外に、「経験もないあなたには、たいした授業なんかできることなどできない。指導書の通りやってればいいんだよ」と言っているのでしょう。

また、「みんなと同じことをやっていれば、問題にもなりませんし」なんてね。これって、若い人や、実際の授業をバカにしていませんか。

若いときから「牙」を抜き、差しさわりのいないフツ―の教員でいい、そう言っているのでしょう。


天邪鬼のぼくには、こんなことは耐えられません。だから、指導書とは別の教材研究、目の前の子どもたちと学びをつくろうと格闘してきました。


いま新しい本(自費出版)を編集中ですが、そこのタイトルにはいつだって自分らしく~ やわらかな教育をもとめて』としました。そして、リードをつけました。「一色に染め上げる”スタンダード”より 目の前の子どもとともに”オリジナル”」と。

 

『モチモチの木』の「五つにもなったのだから」を「数えの四歳」と解釈して読んでみると、豆太もじさまの心情と行為の意味が、より深くなるのではないか。

 

しかし、「指導書絶対」という人(ぼくはこっそりですが、「指導書原理主義」などと呼びます)にそこまで義理立てしなくてもいいはずです。

 

akiraくんが、若手のIくんの不安に応えて対話してくれたこと、素敵な事です。

 

ありがとうございます。

ぼくは、あの日の学びの場でも質問しましたし、ネットで調べもしました。

<数え年>が一般的である時代はいつ頃なのかを調べると、斎藤隆介さんの年齢や出版のタイミングなどを考えると、数え年の方がより整合性が取れるのではないかと思いました。

 

また、サンニ先生が実際にお話してくださった豊かな音読へのイザナイをすることや「モチモチの木」を、豆太という人物像をどう捉え、どう読んでいくのかという視点で考えても、四歳なのか!という❣️インパクトある驚きのようなものを子どもたちと共感した方が、結果として、じさまの視点に立って共感したり、深く浸ったりできるんじゃないかなと思いました。

 

それがサンニ先生の教材解釈なんだろうなと思いましたし、ぼくもお話を伺い、モチモチの木を読む中でそう思えたので、自分は数え年として捉える、もしくは数え年の可能性が高いという立場に立って授業を進めていきたいと思いました。

 

そこも含め、自分で教材を読み、教材解釈をして授業をすることの大切さと面白さをサンニ先生から自分は学んだんだと、迷っている若いIさんに話しました。

それも含め、改めて、Iさんは自信がなく不安だと言いました。

 

しかし、語り合うことで、”よい葛藤”を一緒に味わえたのかなと思い、すこしうれしい気分にも、その時ぼくはなりました。

 

 

Iくんが、この対話でも不安を率直に出してくれたこと、昨日も書いたように、それだけ「圧」が強いのでしょう。学校内からだけでなく、今は教育・学校が窮屈だということでしょう。オリジナルを奪う事にためらいもないお役所的対応が現場を覆っているのです。

 

でも、akiraくんという一人の先輩をモデルにして、いくらかでもオリジナルな自分の解釈を追求してくれるのではないか、そう願っています。そのきっかけになったはず。これからも支援はいくらでもします。

 

    雷 雷 雷 雷 雷

 

 

このところのアクセス数の多さに、どうしてだろうと思って調べたら、教科書教材のことで調べる人たちが多いからの様です。

 

「いるか」「うさぎ」(谷川俊太郎さん)の教材の件でアクセスする中で、このブログ記事を見ているようです。(1/10~1/12)

もう一つ、光村「国語」1年生の『たぬきの糸車』をタンテイするシリーズもまた、検索にかかっているよう。(1/15~1/16)

直接連絡くれれば、『たぬきの糸車』も『ずうっと、ずっと、大すきだよ』も、更に2年生の『スーホの白い馬』、3年生の『モチモチの木』のデータをまとめたものを送りますよ。