昨夜、家に帰ってみたら「八代亜紀さんが亡くなった」という報がネットに上がっていました。ぼくは「えっ」と小さな声を上げました。

八代亜紀さんの年齢も知らないし(まだ若いんじゃないのかなあ…と思っていた)、まさか病気(難病)療養中だということも、その記事で知ったのです。

 

八代亜紀さんについて、ぼくはイイ感じを持っていました。

歌がうまいこと、ふだんのおしゃべりでも優しい人柄が見えていたからです。

 

熊本出身の歌手と言えば、他に代表的なのは水前寺清子さんと石川さゆりさん。

その二人のコメントからも、八代さんがどんな方だったのかよくわかります。

 

ぼくは、別の記事でちあきなおみさんのことを取り上げていますが、同じように八代さんもまた心に届く歌い手です。演歌歌手という枠を超えています。

 
 
 目武田砂鉄さんが「X」(旧Twitter)に以下の投稿をしていることに気がつきました。(武田鉄矢とは違いますぞ)
【初めて会う人に話を聞くのは常に緊張しますが、八代亜紀さんは、会った瞬間から優しさで包み込んでくださって、こんなことってあるんだろうかと戸惑うほどでした。2015年のインタビューです。】(砂鉄さん)
温かなインタビュー記事です。
 
「震えている後輩がいたら、背中をさすってあげる、これが私の生き様なんです」(八代亜紀さん)

この中にある八代さんのことば――「ラブラブ

*「勘違いがあったからこそ、今があるの。私、勘違いだらけなのね(笑)。」
*「地方のキャバレーで、おじさんが「これで拭きな」っておしぼりをくれたの。私、そこで優しさを教わったんです。」

*「自分で「大スター」って言う人は「小スター」よね(笑)。私はたくさんの大スターから愛をもらってきました。」

*「初めて女子刑務所への慰問に行ったとき、私は歌えませんでした。こちらも涙がこみあげてきて、なかなか歌えない。」

*「アメリカの開放的な雰囲気は素敵。日本のおじさんたちにも、もうちょっと街中で「うぇ~い」って音楽を奏でて欲しいわ。」

*「ここでダメなら違うことを探そうって決断するのも大事です。」

 

この中で紹介されている八代亜紀さんが作詞・作曲した「八代清流高校」の校歌。

この学校がどんな高校か知りませんが、地図で確かめました。球磨川の清流のほとりにある学校です。なるほどね、清流高校なんだ。

 

熊本県立八代清流高校 校歌

    作詞・作曲 八代亜紀

今の僕等は 明日を知らない

だから学ぼう 清らかな学舎で

完璧なんて遠いけど

価値あるものを探すんだ

友と一緒に 抱きながら

清流 清流

熱き心の 八代清流高校

 

平易なことばと、それにやさしいメロディーです。

 

 

 

「私は表現者ではなく代弁者です。」

「私の歌は「代弁」なんです。「私と境遇が似ている。よし、頑張ろう」と思ってもらいたいし、「自分が幸せだってことを忘れていた。この幸せを大事にしなきゃ」とも思ってもらいたいんです。」

 

八代亜紀さんの歌を直接に聴いたのは1度だけあります。2014年11月2日。

江東区の夢の島で行われた「赤旗まつり」の屋外のステージでした。数万の聴衆がいました。遠くからの映像なので少し見にくいですが、八代さんの温かさがよくわかります。

(この時、病気から快復した国本武治さんの浪曲のステージが一番の目的でしたが、八代さんの歌に触れたことも忘れられません)

 

「雨の慕情」と「舟唄」です。↓

 

ありがとう、八代亜紀さん。今夜は八代さんの歌をYouTubeで聴きます。

そのときは、ぬるめの燗がいい。