日曜日にガイドするのは、大東文化大の未定(す~さん)ゼミのみなさん。
そこで大学まで行って、資料を作ることにしました。
大東文化大は今年創立百年。
【資料内容】
⓪ハンセン病とは
①「知らないことは罪である」という思い(1)
自分のハンセン病との出会い、詩・森春樹「指」
②「知らないことは罪である」という思い(2)
人間としての尊厳――舌読
人権への罪
「知らない」でいいのかー教師として
我がこととして考えるー「黒髪校問題」
③ ヒポクラテスのことば
「凡庸な悪」(ハンナ・アーレント)を見逃してはいないか
④ 宮崎駿さんとハンセン病
「もののけ姫」、「千と千尋の神隠し」
⑤ 柊の垣根 宮崎駿さんのエッセイより
⑥ 子どもたちとハンセン病
「医学的な意味でのハンセン病」と「その病をめぐる歴史的な観点」の学びの必要性
全生学舎、少年少女宿舎
見捨てられた子どもたち
⑦『あん』(ドリアン助川)の描く「天生園」
⑧「胎児標本」という名の殺人ー生きることを許されなかった子どもたち
証言集より
⑨ 知らないことは罪である、という思い
「殺人」を行った看護婦長の非人間性を問うことは簡単でしょう。けれど、これが国策として行われていたことを問わなければ、解決などしない。どこの療養所にもこの「婦長-医師」はいたのだから。
⑩「語り継ぐハンセン病――瀬戸内3園から」(山陽新聞社編)
「幼児の感染を防ぐため、癩家族のステルザチョン(優生手術)を勧めてやらす」「予防には隔離しかない」(長嶋愛生園、光田園長)
「患者は古畳のように叩くほど出てくる」ー強制収容の必要性(菊池恵楓園、宮崎園長)
・「絶対隔離」は日本独自の政策(光田イズムと呼ばれた)
・ 学校が患者をあぶりだす役割を担っていた
――学校・教師がハンセン病差別に協力・加担した事実
⑪「ハンセン病の過ち繰り返すな」ー内田博文さん(九州大学名誉教授、現ハンセン病資料館館長)
国の絶対隔離政策が恐怖を拡大したこと。
理性よりも感情が先行した――コロナ禍でも起きたこと
人権問題としてコロナ禍と向き合うべきだ
⑫「実話小説 特別病室(重監房)の問いかけは今も」
ある保育園でのこと「バイキンの子は、この部屋から出して」ー人権意識を欠いた実態はそこかしこにある
⑬『13歳から考える ハンセン病問題』(江連恭弘・佐久間建 監修/かもがわ出版)
この本は「13歳から」としていますが、幅広い世代の人に読んでいただける内容です。「過去に学び、今に生かす」という視点に貫かれています。
この中の第5章の「2つの裁判と国の約束」の記述は、それまでの日本のハンセン病問題の致命的な弱点・問題点を明らかにしています。「らい予防法廃止」からの「国家賠償請求訴訟裁判」までのながれが、コンパクトにまとめられています。
⑭『知らなかったあなたへ~ハンセン病訴訟までの長い旅』(谺雄二 ポプラ社 2001年8月刊) この問題を自分のこととして生きたハンセン病回復者・谺雄二さんの魂の叫びです。
⑮ 小笠原登⇒大谷藤郎、それに対しての光田健輔⇒小川正子という研究者の立場
歴史の制約と皮肉を思う
善意に満ちた小川正子の生涯。その「美しさ」だけに目を向けてはならない。歴史から学ぶこと、位置付けること。
資料の綴じ込みを終えて、東武練馬の駅近くに移動しました。
す~さんが「どうしても」というので、その行きつけの居酒屋へ。