ここへやって来ました。板橋区にある大東文化大学です。

土・日にハンセン病資料館ガイドをするので、資料を作るためです。
データは用意しているので、印刷と綴じこみがあります。
退職して困るのは資科印刷が困難なことです。

 

日曜日にガイドするのは、大東文化大の未定(す~さん)ゼミのみなさん。

そこで大学まで行って、資料を作ることにしました。

 

印刷が済むまで校舎内の資料室にいました。

大東文化大は今年創立百年。

戦前は池袋に校舎があったということ。(当初は大学の名称も違っています)
校舎が焼失し、戦後1946年に葛飾区青戸で再スタートしたことも知りました。青戸にそのまま大学があったら、どんなことになったのか、居酒屋大学になったろうなあ、などと妄想が広がります。いけない、イケナイ。
現在は、大学校舎は板橋区と埼玉県東松山市にあります。どちらにも行ったことがあります。立派な校舎です。
 
   ラブラブラブラブブルーハーツイエローハーツグリーンハーツ
 
資料はA4-36ページ。
分厚いものになりました。見学後にでも、時間のあるときに読んでもらえばいいかな。希望者にはデータを送ります。
 

【資料内容】

⓪ハンセン病とは

「知らないことは罪である」という思い(1)               

 自分のハンセン病との出会い、詩・森春樹「指」

「知らないことは罪である」という思い(2)                

 人間としての尊厳――舌読

 人権への罪

 「知らない」でいいのかー教師として

 我がこととして考えるー「黒髪校問題」

③ ヒポクラテスのことば                             

  「凡庸な悪」(ハンナ・アーレント)を見逃してはいないか

④ 宮崎駿さんとハンセン病                          

 「もののけ姫」、「千と千尋の神隠し」

⑤  柊の垣根 宮崎駿さんのエッセイより                  

⑥  子どもたちとハンセン病                          

 「医学的な意味でのハンセン病」と「その病をめぐる歴史的な観点」の学びの必要性

 全生学舎、少年少女宿舎

 見捨てられた子どもたち

『あん』(ドリアン助川)の描く「天生園」                 

「胎児標本」という名の殺人ー生きることを許されなかった子どもたち  

              証言集より                       

⑨ 知らないことは罪である、という思い                   

 「殺人」を行った看護婦長の非人間性を問うことは簡単でしょう。けれど、これが国策として行われていたことを問わなければ、解決などしない。どこの療養所にもこの「婦長-医師」はいたのだから。

「語り継ぐハンセン病――瀬戸内3園から」(山陽新聞社編)    

  「幼児の感染を防ぐため、癩家族のステルザチョン(優生手術)を勧めてやらす」「予防には隔離しかない」(長嶋愛生園、光田園長)

 「患者は古畳のように叩くほど出てくる」ー強制収容の必要性(菊池恵楓園、宮崎園長)

・「絶対隔離」は日本独自の政策(光田イズムと呼ばれた)       

・ 学校が患者をあぶりだす役割を担っていた

  ――学校・教師がハンセン病差別に協力・加担した事実

⑪「ハンセン病の過ち繰り返すな」ー内田博文さん(九州大学名誉教授、現ハンセン病資料館館長)                                

 国の絶対隔離政策が恐怖を拡大したこと。

 理性よりも感情が先行した――コロナ禍でも起きたこと

 人権問題としてコロナ禍と向き合うべきだ

⑫「実話小説 特別病室(重監房)の問いかけは今も」        

  ある保育園でのこと「バイキンの子は、この部屋から出して」ー人権意識を欠いた実態はそこかしこにある

⑬『13歳から考える ハンセン病問題』(江連恭弘・佐久間建 監修/かもがわ出版)

この本は「13歳から」としていますが、幅広い世代の人に読んでいただける内容です。「過去に学び、今に生かす」という視点に貫かれています。

この中の第5章の「2つの裁判と国の約束」の記述は、それまでの日本のハンセン病問題の致命的な弱点・問題点を明らかにしています。「らい予防法廃止」からの「国家賠償請求訴訟裁判」までのながれが、コンパクトにまとめられています。

⑭『知らなかったあなたへ~ハンセン病訴訟までの長い旅』(谺雄二 ポプラ社 2001年8月刊)                                     この問題を自分のこととして生きたハンセン病回復者・谺雄二さんの魂の叫びです。

⑮ 小笠原登⇒大谷藤郎、それに対しての光田健輔⇒小川正子という研究者の立場

歴史の制約と皮肉を思う                          

善意に満ちた小川正子の生涯。その「美しさ」だけに目を向けてはならない。歴史から学ぶこと、位置付けること。

 

     イエローハーツラブラブグリーンハーツラブラブブルーハーツ

 

資料の綴じ込みを終えて、東武練馬の駅近くに移動しました。

す~さんが「どうしても」というので、その行きつけの居酒屋へ。

 

 
資料完成のあとのシャリキンホッピ-のおいしいこと。
帰りの電車、ぼ~っとしていて一駅乗り過ごしてしまいました。反省。
 

柚子を使ってのジャム

 
毛呂山の桂木柚子のジャムも仕上がりました。少し軟らかめになったので、次はそれを考えて作ります。味はよし。