長島愛生園へ②です。

長島から見える穏やかな瀬戸内の海。かなたに薄く見える島は「小豆島」。


愛生園の歴史館は、この海の見える高台にあります。。

かつての事務本館でした。

今は、ハンセン病の歴史資料館になっています。

この中には、愛生園の園長室もあります。初代園長・光田健輔に関する資料も。強制隔離政策の中心にいた彼のことを、その部屋で考えていました。

今でこそ、その政策批判が定まっていますが、かつては、その政策に「感謝」した入所者もいたことを思うと、複雑な気もちになります。


2Fには、青い鳥楽団関連も。

古い洋館。高い天井。

展示から。子どもたちのこと。


長島には(他の療養所にも)たくさんの子どもたちがいました。少年(少女)舎や学校(愛生学舎)のあった場所は「望ヶ丘(のぞみがおか)」と呼ばれていました。
「望」という文字。

「光ヶ丘」と名付けられた場所には、「恵の鐘」があります。過酷な入所者への待遇へ抗議が行なわれた「長島事件」の場所も。
「望」「光」「恵」と、ことばはとても皮肉に感じます。
今はとても穏やかな陽ざしの中にありましたが。

さざなみハウスでもらった資料をもとに園内を歩きました。

グリーンハーツく歴史館より〉

ラブラブ〈盈進中・高生たちの作ったガイドマップ〉

このガイドマップを見ながら、その③へ続く。

流れ星流れ星流れ星
12月2日には、ススムさんからの依頼で、医療生協の利用者の方たちを、さらに3日には、す~さんのD大ゼミ生たちを、「ハンセン病資料館」(東京都東村山市)へガイドします。
そのためのぼくの学びの旅です。