賢治は「ほんとう(本当の、本統の)の幸い」、「みんなの幸い」ということばをしきりに使いました。

作品の中でも以下のように使われています。

「みんなの幸いのためならば

 僕のからだなんか

 百ぺん灼いてもかまわない」『銀河鉄道の夜』

 

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸(さいわ)いのためならば僕のからだなんか百ぺん灼やいてもかまわない。」

「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。

「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。

「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。

「僕たちしっかりやろうねえ。」ジョバンニが胸いっぱい新らしい力が湧わくようにふうと息をしながら云いました。

 

自分のからだが百ぺん灼かれてもいいというのを読むと、「星めぐりのうた」の赤い目玉のさそりを思い浮かべます。

『銀河鉄道の夜』のなかに以下のような部分があります。

 

<「むかしのバルドラの野原に一ぴきの蝎がいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。するとある日いたちに見附(みつ)かって食べられそうになったんですって。さそりは一生けん命遁(に)げて遁げたけどとうとういたちに押(おさ)えられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、もうどうしてもあがられないでさそりは溺(おぼ)れはじめたのよ。そのときさそりは斯う云ってお祈(いの)りしたというの、
 

 ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉(く)れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。

 どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸(さいわい)のために私のからだをおつかい下さい。って云ったというの。そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。いまでも燃えてるってお父さん仰(おっしゃ)ったわ。ほんとうにあの火それだわ。」


「そうだ。見たまえ。そこらの三角標はちょうどさそりの形にならんでいるよ。」
 ジョバンニはまったくその大きな火の向うに三つの三角標がちょうどさそりの腕(うで)のようにこっちに五つの三角標がさそりの尾やかぎのようにならんでいるのを見ました。そしてほんとうにそのまっ赤なうつくしいさそりの火は音なくあかるくあかるく燃えたのです。>

 

「星めぐりの歌」は、賢治が作詞・作曲したもの。

 

星めぐりの歌

あかいめだまのさそり
ひろげた鷲のつばさ
あをいめだまの小いぬ
ひかりのへびのとぐろ
オリオンは高くうたひ
つゆとしもとをおとす

アンドロメダのくもは
さかなのくちのかたち
大ぐまのあしをきたに
五つのばしたところ
小熊のひたいのうへは
そらのめぐりのめあて

 

閑話休題のエピソ一ド

ここで、賢治の音楽への関心についても触れておきます。

 

賢治の有名な写真です。この写真にはモデルがあった言われます。そうです。そう、賢治が大好きだったベートーベンです。

賢治はクラシックの愛好家として、たくさんのSPレコードを収集し、学生や知人たちにその曲を聴かせていました。

その一端は、賢治の作品からもわかります。

『銀河鉄道の夜』では、ジョバンニとカンパネルラが旅する客室に同乗した女の子が「新世界交響曲だわ」と呟く場面が出てきます。ドボルザークの交響曲第九番『新世界より』のことです。『セロ弾きのゴーシュ』でもたくさんの音楽が出てきます。

 

賢治はとりわけベートーベンが好きで、『運命』は「春と修羅」のきっかけとなったこと、『田園』は詩「小岩井農場」との関連が指摘されます。確かにそれらの作品の背景にシンフォニーが流れていると思うと納得できます。

 

賢治のこうした一面を知ると、作品が一層身近に感じます。