東村山市の秋津図書館に行ってみました。新秋津駅から歩いて10分。この図書館には、草野心平コーナーとハンセン病関連コーナーがあるからです。
玄関前に北條民雄の碑もありました。
楓の木は全生園の秩父舎脇(北條民雄が『いのちの初夜』を執筆した場所)脇から移して植えられています。
石碑には『いのちの初夜』冒頭の分が刻まれています。
《駅を出て二十分ほども雑木林の中を歩くともう病院の生垣が見え始めるが、それでもその間には谷のように低まった処や、小高い山のだらだら坂などがあって人家らしいものは一軒も見当たらなかった。東京からわずか二十マイルそこそこの処であるが、奥山へはいったような静けさと、人里離れた気配があった。》
『いのちの初夜』は、北條民雄の実体験をもとに書かれた小説。
主人公。尾田は、東村山の停車場(駅)から、全省病院まで歩いてきます。そして病院が見え始めた時に、緊張感と不安感を覚えます。そこはどのような所なのだろうか、どのような入院生活が待っているのだろうか。
その北條民雄の内面が伝わる書き出しです。<人家らしいものは一軒も見当たらなかった><奥山にはいったような静けさ、人里離れた気配>。もうここは普通に暮らす場所ではないと直感しているからです。
ぼくはドキドキしながら中に入りました。お隣の清瀬市民ですから。
中に入るとすぐに草野心平コーナ-とハンセン病資料コーナーがありました。
草野心平コーナーでまず手に取ったのは、草野心平編の『宮沢賢治研究Ⅰ』と『宮沢賢治研究Ⅱ』です。
この2冊は、昭和56年に筑摩書房から刊行されています。
草野心平は、1933年9月21日に賢治が没したことを、高村光太郎から聞き、初七日に花巻の宮沢家を弔問しました。(当時、たいして収入のなかった心平が花巻に向変えたのは、光太郎が資金を出したことが今回わかりました)
会ったこともなかったけれど、そこで、賢治の作品草稿に触れ、賢治を世に出すことを決めています。
初期の『宮沢賢治全集』3巻の編纂をし、「宮沢賢治研究」を書きます。(『宮澤賢治追悼』1934年、『宮沢賢治研究』(十字屋書店)は1939年。これらがさらに充実させられて、『宮沢賢治研究』Ⅰ、Ⅱになります。)
この本は、簡単に立ち読みと言うわけにもいかず、目に留まった下の本で、草野心平のことを知ります。
書評家。岡崎武志さんの『ここが私の東京』(筑摩文庫、2023、元は2016年に発売された単行本)。
――小説家から音楽家まで、あの人の「上京&東京」物語。…作家たちの足跡を作品とともに著者自らの足で東京の街を歩きながら<上京>という視点で読み解く岡崎流文学案内―ここに草野心平も取り上げてあり、まさにぼくの問題関心にピッタリでした。
座り込み、メモをとり読み込んでしまいました。
この本、書店で買おう。
1時間半ほどの読書から家に戻り、仕事。水曜日に飛び込みの話をするからです。
資料まとめて、その後パワーポイントをつくりました。
草野心平の蛙たち、春夏秋冬です。もう少し手を入れて、完成です。
頼まれた原稿の閉め切りも迫っています。あらあら、大変。

