1903(明治36)年生まれの草野心平。

1929年から1230年まで前橋に住み、上毛新聞社に勤務していました。26歳~27歳。

下の写真はその頃の写真。

 

「子供に。」はそのことに触れた詩。「子供」というのは、この写真に写った子のことなのでしょうか。

 

流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星

 

明日は天気だ

 

子供に。

 

遠い蒼い空の窪みのように。

お前はおれの中に沈み。

おれは抱きすくめる。

毎日は買ってやれない飴ん棒達をこんなによろこぶのを。お前の頬に頬をこすりつける。

 

おれは思い出す。

前橋の冬。

お前はそこのトタン屋根の薄暗い長屋の六畳に生れた。

おむつの満艦飾の下で一ダース程の貧しいはなたれ天使達が。お前も裸でよちよち歩いていた。

そうして今。一枚の布団を四人で着。その中の一人が小さいお前でおれの胸に埋まってねるのだ。

やがてはそれをお前に話すことが出来る。お前はむしろそれをうれしく思うだろうことを信じ。

おれはお前をだきすくめる。

 

(何んたる声をたてたい吸いこむ空)

 

さ。べい独楽と遊べ。

ナ。

夜の仕事に。おれは出掛けて行かにゃあならん。

 

 流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星

 

 心平は、福島磐城の出身の詩人ですが、60歳まで漂泊をくりかえした人。

前橋時代のことをうたった詩。「子供に。」には、若い父の思いが迫ります。

 

下の写真は、毎日新聞社「毎日グラフ(1955年6月1日号)」より 52歳の心平。

 「火の車」という居酒屋もやって(経営して)いた人だったからなあ。新宿でバー「学校」も。

 

ブログ記事にかつて紹介しました。

 

 

 

ところで「光村」の「国語」教科書には、草野心平の2編の詩が紹介されています。

3年生では「ゆき」。4年生では「春の歌」。

ぽくは、ブログではどちらも実践を詳しく紹介しています。

 

その心平。60歳の時に東村山の秋津に住居を構えます。そしてその柳瀬川沿いのこの地を「五光」「光あまねし」と呼び、大変気にいったのです。亡くなるまで26年間この地に暮らしていました。しばしばぼくが紹介する図書喫茶「カンタカ」のそばです。

このことを、もっと東村山の人たちには知ってほしいなあ。