100分de名著、北條民雄『いのちの初夜』1回目の放送を視ました。再放送もあります。
 
 
テキストは、中江有里さんが書いています。読んでみると、落ち着いた筆調に好感が持てます。中江さんは、北條民雄の小説について通信制の大学での卒業論文に取り組み、ハンセン病についての理解も深いので、このテキストから教えられることも多い。
ぜひ書店で求めてください。(NHK出版の回し者のようなことば。アノ「ブッコワス!」と叫ぶ立花氏が怒鳴り込んで来るかな。ははは。)
 
年譜をじっと眺めます。いろんなことを思います。
 
1914年9月22日、誕生
1歳になる前に母を亡くしていること。京城(現・ソウル)から、母方の祖父母に預けられ、徳島・阿南で育てられたこと。七條晃司が本名。
1929年、15歳で上京。働きながら夜間学校に通う。小林多喜二の「不在地主」に衝撃を受けたこと。
1930年、16歳、ハンセン病の兆候が現れる。帰郷。
1932年、18歳、プロレタリア文学を目指そうとしたこと。作家・葉山嘉樹への手紙。遠縁の女性と結婚。
1933年、19歳、ハンセン病を理由に妻と離別。
  (小林多喜二が特高警察に虐殺されたのは2月。29歳。)
   ハンセン病の告知を受けたこと。上京。
1934年、20歳、東京・東村山「全生病院」に入院。川端康成へ手紙を書く。
1935年、21歳、デビュー作「間木老人」。
1936年、22歳、「最後の一夜」(川端康成によって『いのちの初夜』と改題)が「文學界」2月号に掲載。「文學界賞」受賞。
1937年、23歳、腸結核が重症化。12月5日死す
 
生きることを駆け抜けた若者でした。
放送も録画して視よう。そして、随筆や書簡も読もう。
 

 
全生園に行ってみよう―そう思い、自転車で向かいます。3分もあれば北條民雄ゆかりの場所につきます。
「秩父舎」跡。北條民雄が暮らし、『いのちの初夜』を執筆した場所。今は、プレートがあるだけ。
 

一時期、「秩父晃一」というペンネームも使っていたとあります。
 
あれ、れ?少年少女宿舎が…。
秩父舎跡のそばには、「少年少女宿舎」があります。ここ数年間、荒れ放題になっており、ブルーシートに覆われていました。そのシートが取り払われています。
 
 
 
 
これは、おそらく近々取り壊されるのではないでしょうか。
この建物、保存して、子どもたちの学びのセンターにできないのかなあ。
ハンセン病資料館とは異なる子どもたちの学び場として、体験活動などできれば継承にもなると思うのだけれど。
 
ときどきここにも来て、経過を見守っていこうと思います。