『ことばで遊ぼう 表現しよう―ことばあそび・朗読・群読―』(日本演劇教育連盟・編、晩成書房)のなかに、ぼくは「ことばを文字に閉じこめない」という文章を書いています。

岩辺泰吏さんの新著『まどもさんの詩で時間わり』に刺激され、この本のまど・みちおさんの詩をあそぶことを中心にして紹介します。

 

 

ぼくの文章では3人の詩人の詩を取りあげています。

(1)まど・みちおの詩をあそぶ

(2)谷川俊太郎の詩をあそぶ

(3)阪田寛夫の詩をあそぶ

 

前書きに次のように書きました。

 

≪からだをカタくすることを強いる教室場面が増えています。「学習スタンダード」と称し、学びを規律やマニュアル漬けにして、子どもと教師を窒息寸前にしています。「学力向上」のかけ声が、その教室の、その教師の、その子どもたちのという個別性や個性を踏みにじり、速さと量だけの学習を求めます。

 

だからこそ、現場に立つ教師はスローで質のともなった声の往還する学びをつくりたいと思います。そのときに人としての根っこにある「ことば」そのものと向きあう時間が、どうしても必要です。

 

ことばは「音声」と「意味」からなります。教室では、ともすると「意味」に偏ったことばの学びになっていますから、「音声」と「意味」の両方であそぶこと、それをつなぐ「表現」こそポイントにします。ことばを文字に閉じこめないことがそれです。

 

子どもたちの学びを薄っぺらなものにせず、身体表現に開いていくときに励ましてくれるのは、まど・みちお。谷川俊太郎、阪田寛夫という詩人たちです。これらの詩をあそんでみると……。≫

 

「(1)まど・みちおの詩」として取り上げたのは、「ともだち」、「ぼくのじ」、「バナナのじこしょうかい」、「(   )はえらい」(この詩とのつながりで谷川俊太郎「おならうた」も)。

 

その具体を数回に分けて続けてみます。

 

 ともだち  まど・みちお

ともだち いるぞ

いっぱい いるぞ

いちねんせいだぞ

わっはっはっは

かぜふけ あめふれ

わっはっはっは

 

子どもたちと校庭に出ます。横一列に並んだこどもたち。ぼくは子どもたちと15メートルほど離れて立ちました。

「足を開いて立つ!」大きな声で叫びます。

「両手を腰に!」「胸を張って!」やって見せながらの声かけです。

「あとに続いて声をだすんだよ!ともだち まど・みちお!」

戻ってきた声が小さいので、ぼくはさらに10メートルほど離れてお腹の底から「ともだち!!」と声をかけました。子どもたちは天に届けとばかりに声をあげました。

「ともだぢいるぞ!!」「いっぱいいるぞ!!」

“のどちんこ”も見えるほどです。

「わっはっはっは!!」

心地よい笑いが広がりました。曇り空に向かって声を張りました。

「かぜふけ!!あめふれ!!わっはっはは!!」

上気した子どもたちの表情を見ていると、もう少し文字をあそびたくなります。

 

子どもたちをすべり台やうんていの上にあげました。ぼくは大型のジョウロを持ち出し、水を満タンにして、地面に 

15メートルほどの巨大文字書きました。

「さだ!」「しだ!」

さ行の5文字を書き終えたら、子どもたちを「さ」の始筆のところに並ばせました。「スタート!」の合図で、一人ずつこの巨大文字の上を筆順通りに走らせました。「そ」にたどり着くころには、ハァ、ハァと息が上がっていました。全身を使って文字を体感した学びです。

 

(まど・みちおの詩を読む②へと続く)

 

スター子どもたちと楽しむスター

この詩を子どもたちとあそぶことを、リクエストされました。1ケ月余通ってきた「しごと場」で遊んでみました。場所や子どもたちの状況に合わせて展開して遊ぶのは当然です。面白かったなあ。

子どもたちからは「明日もやりたい」と声が出ました。

最後の日の今日も少しの時間に「デザート授業」としてやってみます。

浦島太郎の日々を救ってくれたのは、詩の授業たちです。

昼過ぎに終えて、ひとりご苦労様をしよう。