保健の教員になるべく奮闘中のミキさんを支えてくれているの茨城・水戸の“母”堀口さん。その堀口さんのリクエス卜に応え、急ですが、明日21日(水)にハンセン病資料館・全生園を案内します。

 

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堀口さんは、「いのちの授業」や「郷土(ひたちなか市や水戸市など)の授業」など創造的な授業をつくっている茨城県の教師。

朝日新聞記者の上野創さんを介して知り合いました。学びをつくる会でその実践を報告してもらったこともあります

 

自主ゼミメンパーだったミキさんが、都留文大を卒業して縁もゆかりもない水戸での新たな大学3年生に編入生として生活を始めることになったとき、すぐさま堀口さんのことを思いました。つなごう。

すごく優しい方なので、困ったときに頼りになるでしょう。

実際、11月にミキさん、友人のエリナさんと水戸に行くと伝えると、水戸訪問の前日に不動産屋にあたり、4月からのアパートのあてをつけてくれていました。そして、水戸周辺の案内もしてくれました。

堀口さんの教師としての素晴らしさをミキさんたちに実感してもらおうと、今年の3月には学校訪問をしました。その際、ぼくは、求められて短時間の授業もしました。

6月には、その縁で、幼稚園・小学校で4時間の授業をさせてもらえました。

 

ミキさんが水戸で生活を始めてからも、時々呼んで夕食をさせてくれたり、おかずの煮物などを届けてくれたりしています。本当に茨城の“母”です。お連れ合いも優しい方で、お二人で“娘”のように接してくれています。

ミキさんは「堀口さんがいなければ、私は水戸での寂しさや新しい授業のつらさに耐えられなかったはずです」と言います。

ありがたい。足向けて寝れません。(あれ?水戸はどっちの方だっけ?)

 

雷こんな計画を立てました。

希望の人がいたら、一緒にどうぞハート明日、参加してみたいなという人は、さんに携帯まで。090-7638-4426

 

く一応の計画>
流れ星 9時に新秋津駅で待ちあわせ(8時58分に堀口さんが着きます、ミキさん、寝坊しないでネ)
流れ星 10時~ハンセン病資料館見学(ガイドはぼくです)
流れ星 12時~1時 全生園を歩く(映画「あん」の塩どら焼きも食べよう、暑にめげずに)
流れ星 14時~みゆき食堂(清瀬の伝説の食堂!)
流れ星 15時~喫茶店「縁(えん)」でクールダウン(宮崎駿さんにあえるかも?)
流れ星 その後は???
 
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昨日、全生園の中を歩いてきました。いつもとは違ったところをぶらりです。
ひまわり畑の花々が迎えてくれます。

メモ住居には、住む方が少なくなり、住居棟の整備が進みます。防犯上の問題もあり、解体されていきます。かつては2000人近い患者の方が暮らした全生園ですが、今は100人を少し超えるくらいの元患者の方たちが暮らします。高齢の方が多く、病棟での生活の方も増えています。
 
 
 
正門の方に回ります。一番上で紹介した地図のとなりに「全生園の隠れた史跡」という地図もあります。
 

 
 
それぞれの場所にプレートがありました。
 
メモ「収容門跡」・・・「収容」ということばにもう差別生があります。人間の尊厳を踏みにじったハンセン病政策。ここを通過して、生涯この地で暮らした多くのハンセン病者。
メモハンセン病者への非人間的な対応に反発すれば、「罪人」としての扱いが待っていました。全国全ての療養所に「監房」が有ります。懲戒拘束権が所長に与えられていました。刑務所と同じです。あくまで、病院(療養所)なのに。
メモ「全生劇場跡」・・・患者の方たちの楽しみ、患者歌舞伎も盛んだったと言います。そのための「劇場」がありました。回り舞台もあったと。1944年、失火によって消失しています。戦争末期のこと、再建など出来なかったのでしょう。
メモ患者・元患者の人たちの出入りする門。
今は、開放されていますが、かつては「囚人」の扱いを受けたハンセン病者。周りは高い生垣(柊の垣根)があり、門には監督がいて、が¥厳重な鍵がかかっていたそうです。
 
メモ整備された「楓公園」。大正天皇の妻であった貞明皇后(印は楓でした)からの恩賜公園。楓の樹が数本、碑が2つあります。貞明皇后は、ハンセン病救済に熱心だったそうです。ちなみに、この大正天皇の時から、一夫一妻になったと。明治天皇までは「お妾さん」がたくさんいて、お世継ぎ問題など起きなかったと。男系しか認めないなどと言う人(日本会議系の政治家、アベ氏も)たちの愚かさ。
 
メモさらにブラリとしていると、廃屋のような建物がありました。なんだ?
そのお隣にありました。「全生園付属看護学校」です。上の廃屋は旧校舎跡でした。
 
メモ2012年、全生園内に保育園ができると話題になりましたが、実は全生園内には1960年から保育園はありました。労働組合の全医労が作った「あおば保育園」です。ここは、かつて園内で働く人たちの子どもたちを預かる院内保育所でした。
あおば保育園は、2011年、地域の子どもたちも預かることにして今も保育をしています。
地図で見ればわかるように、あおば保育園の奥の方に花さき保育園はあります。この保育園は東村山市の認可保育園です。外側の道路からの出入りができます。
 
メモ下は「あおば保育園」。
メモ下は「花さき保育園」。
花さき保育園開園時の話題をかつてブログにも書いています。
(この記事で不正確な部分があります。あおば保育園も2011年、地域の子ど子たちを受け入れるようになっていました。しかし、定員が24人ということで、入所希望者の要望に応えきれません。施設も整いません。花さき保育園は定員128名。規模が違います。)