下品さが売りだとぼくのことを誤解している人はいませんか。
そういう誤解が広がったのは、授業の中で「おしっこ」、「うんこ」、「おなら」、「おっぱい」などと言うことばの入る詩を積極的にとりあげたからでしょう。
いやいや、これは下品ではなく、探究心、科学的合理精神の為せる技なのであります。生理現象などは身体・生命の維持に絶対必要なことです。だから、むしろお上品ぶってこうしたことばを口にも出さないのでは、健全な教育活動は出来ません。あははは。
なんて偉そうに言いましたが、要は、こどもたちが喜んでくれるから取りあげて遊ぶのです。子どもってこういう、オトナが眉をしかめるようなことばを禁止するとわざと言うんですよね。
クラスで堂々と口に出せば、いやらしさはなくなります。そういうもんです。
( )はえらい!
「( )はえらい まど・みちお」と黒板に書きます。何がえらいというのかな。
「先生はえらい」とトモ君。「いや、さんに先生はえらくない」とタク君。「私はお母さんがえらいと思う」とノンちゃん。「ゾウ」「ライオン」と次々に子どもたちが言うので、詩の全部を示します。
「( )はえらい まど・みちお
( )はえらい
でてきた とき
きちんと
あいさつ する
こんにちは でもあり
さようなら でもある
あいさつを・・・
せかいじゅうの
どこの だれにでも
わかる ことばで…
えらい
まったく えらい」
何がえらいのか、子どもたちの考えはどれもピッタリしません。
「何なの、教えて?」と子どもたちが聞くけど、ぼくはじらします。ぼくはこんな詩を書いた「まどさんはえらい」と言いたいぐらいです。
子どもたち全員が「知りたい!」と声をあげたので、ぼくはオゴソカに言いました。
「おならはえらい!」
みんなは「エッ!?」と驚きました。
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おならを詩に書くなんて。でも谷川俊太郎さんにも詩「おならうた」があります。
ぼくはお母さんたちに疑われています。ことさらに《下品な》詩を選んでいるのではと。そこで弁明です。
子どもたちは「おなら」「オシッコ」を喜んで使います。これらの言葉を使わなくなることが成長だとすれば、ぼくのとりあげ方は逆行しているようです。でも「おなら」も「オシッコ」もそれ自体は大事なものです。
「下品」の一言でこれらを押さえこむことの方がむしろいやらしいでしょう。ユーモアでくるむ表現の中に下品さは消えていきます。
まどさんや谷川さんがこんな詩を書いていることにぼくは感謝します。ユーモアが教室や子育ての場からなくなったらなんと冷〔ひ〕え冷〔び〕えとしたものになることでしょうか。
「おならはえらい」と朗らかに読むと、気分スッキリです。便秘解消したみたいに。あっ、これが下品なのかなあ。
ことば遊びを発表会で演じました。ドクターに扮した子がこの詩を堂々と「レクチャー」しました。
理科室の先生から白衣を借りた子が聴診器を首にかけて登場。子どもたちや保護者の前をぐるり見渡して語り出します。
「オッほん。みなさん、ワタクシが、オッほん、本日はみなさんに健康に関する重要なレクチャーを行ないます。よ~く、お聞きください。
ところで、みなさん、お体の具合はいかがですかな。
なに?腰が痛い?(じろりと見て)う~む、そりゃあ太りすぎだからですよ、オクサン。
これこれ、そこのお母様、大口開けて笑ってる場合じゃありませんぞ。
ワタクシ、盲腸の手術をすることがあります。この手術が上手くいったかどうかは、古くから、あるもので判断してきました。それは、手術後にしっかりおしりから音が出ること、、、お・な・らが出るかどうかなんです。
おならがブーと出たら、もう退院できます。おならというもの、大変大事なものなんです。
オッほん、(みんなを見回してから、どうどうと語り始める)
おならはエライ! まど・みちお
おならはエライ!
でてきたとき きちんと あいさつする
(方向転換して、語りを続ける)
(ちょっと首を振り、会釈をしながら)こんにちは~ でもあり
(手をバイバイとふりながら)さようなら~ でもある
あいさつを
(見回しながら、両手を拡げ)せかいじゅうの
どこの だれにでも わかることばで
ウオッほ~ん!!
(こぶし振り上げ力説する)
えらい!
まったくえらい!!
では健康第一で。さらばジャ。」と後ろ手に組んで、ゆっくり退場していく。
(コレに続いて、谷川さんの「おならうた」を10人で演じます。)
こうやって遊んだなあ。この時のテツヤ君のドクター役、最高でしたね。