立川明(mYO)さんのエッセイ連載、2回目。(4回分あるうち)
 

 
小学校中学年(とくに4年生)を担任したとき、「総合」の時間に「二分の一成人式」に取り組んだ人は多いと思います。教科書に取りあげていることも後押ししたし、「総合」への戸惑いもあり、渡りに船としてあちこちで取り組まれました。

(ぼくは、ふしぎな小学校坦任生活を送ったので、「総合」が教育過程に組み込まれて以降に4年生担任を一度も経験していません。だから「二分の一成人式」の実践とは無縁でした。ちょっと他人事みたいでスミマセン)

この「二分の一成人式」は、「感動」がつきものだったので、保護者からも期待する声が寄せられました。
これ自体は、子どもたちが自分たちの成長を確かめる範囲でならば意味も合ったと思いますが、多くの実践では「感動」を作り出すことの方に目が向き、デリケートな子どもたちの育ちや、抱えている事情は軽視されることが多かったようです。
「作られた感動」の影で、感謝も強いられたりしました。
 
明(mYO)さんは、子どもたちの声からこの行事を作りかえています。
ぼくは、彼の教室に何度か訪問したので、ここで書かれた様子は雰囲気として理解できます。明(mYO)さんは、教師としての自分の思いだけを強く押し付けることはありません。子どもたちがわいわい言いながら自分たちの行事を作り上げることを大事にしています。
その様子は、一見すると、秩序のないものに見えますが、ぼくが教室訪問した時には、子どもたちが大きな体の明(mYO)さんのお腹を触りながらも、くまもん先生に頼り切って、のびのびと活動していました。
安心のなかで、子どもたちは自分を表出していたのです。
この柔らかさが、学年メンバーや学校内の共感を作っていったんですね。
 
さて、3回目はどう展開するのでしょうね。
 
      キラキラキラキラキラキラキラキラ   キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ
 
数日前から、右足首に痛みがありました。どうしたものかと、湿布で済ませていました。
昨夜から、その痛みがひどくなり、歩けなくなりました。
座ったままの移動しかできません。足を上げて寝たまま状態。
これは3年前の足の状態と同じです。困ったなあ。
家人は「無理せずに安静に」と厳命します。
「誰か、ぼくを憎しむ人が藁人形に五寸釘で打ちつけているかも」と言ってみると、「オバカ!」とにべもありません。
暫く安静かあ。仕方なし、催促されていた原稿を書きました。2本。まだもう1本ありますが、転んではタダでは起きないのだ。