「不器用なダメ教師」であった宮沢賢治について、それがどうして、生徒たちから忘れられないに教師に変わっていったのか、それを考えるとき、今を生きる私たちに大事なことを教えてくれています。

 

らぶれたあ ❿

都留文大 教育実践学概論授業通信10

2017.2.07(木)   byシモムラ・サンニ

 

前回は「教師・宮沢賢治」について紹介しました。賢治は不器用なダメ教師であったこと、それをまず押さえておきましょう。前回はそこが不足していたかもしれません。

「生徒思いの理想の教師」というイメージだけが残ったかもしれませんから。

 

かつて「ダメ教師だった賢治」のことをブログに書きました。

2014-11-24 の「さんにゴリラのらぶれたあ」より

************
 

25歳で稗貫農学校(後の花巻農学校)の教師になった宮沢賢治のことを、ダメ新任教師であったと畑山博さんは書いています。『宮沢賢治の夢と修羅~イーハトーブのセールスマン』(プレジデント社)
1416795003030.jpg
40人1クラスの2学年しかない小さな学校。賢治の担当した科目は、英語、代数(算術)、化学、土壌、肥料、気象、作物、農産製造、水田稲作実習。

この農学校の他の科目は、修身、国語、植物、畜産、養蚕、林学、作病、体操、虫害。これらをたった5人の教師たちが担当していました。
時間割を見ると、月曜から土曜まで毎日6時間授業でした。

賢治の仕事ぶりについて畑山さんはこう紹介します。
 
≪ 高等農林の生徒にでも話すような内容を、黒板にも書かず、ただ早口でまくし立てる。それに追い打ちをかけて、『農民芸術概論』に書いたような文学論、芸術論を、まくし立てる。
 おかげで生徒はちんぷんかんぷん。
「分からんのす」
「やめべし。やめべし」
 と野次が飛ぶ。教室中がざわめき出す。
 立往生してしいんとなる。
 賢治が怒らないので、また騒ぎ出す。
 その声がとうとう職員室に聞こえて、校長が見にやってきた。そうして無言で睨みをきかせる。くる日もくる日もそんな有様。みじめなばかりの若葉マークだったのだ。
 そんな様子を、自分でも友だちへの手紙に書いている。


≪「毎日学校へ出て居ります。何からかにからすっかり下等になりました。それは毎日のNaClの摂取量でも分かります。近ごろしきりに活動写真などを見たくなったのでもわかります。又頭の中の景色を見てもわかります。
それがけれども人間なのなら私はその下等な人間になりまする。
しきりに書いて居ります。書いて居りまする。お目にかけたくも思ひます。愛国婦人という雑誌にやっと童話が一二篇出ました。
一向いけません。学校で文芸を主張して居りまする。芝居やをどりを主張して居りまする。けむたがれて居りまする。笑われて居りまする。授業がまづいので生徒にいやがられて居りまする。」≫


これは別のところで知ったことだけれど、初任の頃、授業に立往生した賢治は、突然チョークをガリガリとかじり出したこともあったそうです。自分の不甲斐なさ故だったのでしょう。生徒たちはさすがに驚きました。(ぼくも授業に立往生した時、このエピソードが頭をよぎりましたが、さすがにぼくにはチョークをかじることはできませんでした。)

昨夜、新任のKさんから、クラスの子どものことで相談の電話がありました。
「いつも、困った時ばかり連絡でスミマセン…」と言いながら。

新任教師の日々は、悩みが尽きることがありません。
相談にのりながら、ダメ教師だった賢治のことを思いだしていました。

ダメ教師だった賢治が、いかにして、後に教え子たちにとって生涯忘れられない教師として記憶されるようにまでになるのか、ここに「教師が成長する」ことのヒントがあるように思います。

賢治はどうして急に、「ひょうきんで、一里先からでも聞こえるような大声で笑う先生」「先生の授業は分かりやすくて、とても面白かった」(当時の教え子の後の証言より)に変わっていったのでしょうか。

若い賢治の変化のきっかけを、「それはまず、頭の方から改革がはじまったのす」という教え子の証言から畑山さんは解き明かしています。

ぼくは「頭の方の改革」というので、発想が変わったのかと思ったら、ヘヤースタイルだったというのです。「あるころから、急に髪の毛伸ばして、ポマード、つけはじめたのす」
ぼくは、笑っちゃいました。石部金吉のように思われる賢治にも、そんな“スタイリッシュ(?)”な面もあったのかと。
農学校に隣接する花巻高等女学校への突然の訪問、そこにいた藤原嘉藤治という音楽教師と仲良くなったことから、賢治は変わっていったらしいのです。
女学校訪問、音楽教師との交流が彼のスタイル、スタンスに大きな影響を与えるきっかけになったとは。若いね!賢治クン。

「外見の変化以上に、内側の変化は大きかった」と畑山さんは書きます。
*校歌「精神歌」をつくる(その歌は今にも引き継がれ、歌われています)
*学校演劇台本執筆
*曲をつけた詞、オペレッタ
*校外学習、イギリス海岸など
*授業スタイルの変化、ジョーク、ゆるやかなテンポ
*聞き上手に変身   などオリジナルで、自由な教育実践。ここに鍵があります。

     ラブラブ  ラブラブ  ラブラブ

ダメ教師になることを多くの若い人たちが恐れているけれど、むしろダメ教師であるところから始めるしかないと思います。
自分がダメであることの自覚があれば、どこから始めようかという風に考えることを足場にできます。

賢治の友人への手紙には、自らのダメさぶりを笑っているような書きぶりも見て取れます。
誰かにボヤキを投げ出し、自分を相対化すれば、いくらかの自信が生まれてくるかもしれません。
自分は自分でしかないのだから、あなたの今立っているところや子どもへの想いから率直に向かえばいいんだよ、Kさん。いつでもなげきやボヤキも投げ出してください。

     

     ****************
ぼくは賢治もまた、ぼくや、そしてぼくに連絡してくる若い教師と同じなんだなあと思います。

学生の皆さんが不安になることもあるだろうけれど、心配いりません。いつでもぼくはみんなのことを応援しますからね。今も、卒業してからも。    

 

宮沢賢治について、小学校の時に調べた記憶は少しあったが、『永訣の朝』などの詩の言い回しはとても難解なものだと、当時は感じていた。

昔、読んだものや調べたこと、知ったことに、再度大学生で出会う経験は、今だからこそすっと入ってくるものがあったり、新たな発見があったりと、面白いものだと思う。

この前、SATの授業、6年生が『やまなし』を学習していた。そこでは、ひたすら音読のテスト場面があった。一人が立って、前半か後半かを選択し、「気持ちを込めて」(?)音読する。それを、クラスのみんなと先生で判断し、合格か、再テストかを決める。

私はそんな授業でいいのだろうか、と思ってしまう。

また、子どもたちは様々な出版社から出ている『注文の多い料理店』を何度も何度も読み返していた。

「宮沢賢治って、どこの出身か知ってる?」と聞いたところ、「知らない」と答えた児童が大半だった。

賢治のことを知らないまま作品を読んでいるのはもったいないなあと、今日の授業を受けて、改めて思った。(Yさん)

 

中学生だったころ、『永訣の朝』を習った時、すごく感動したことを覚えています。1時間扱いの授業でしたが、いつも騒がしいクラスがシーンとして皆が詩の世界に入り込んでいたように感じました。

これは、教師の教える力がどうこうではなく、詩の作品そのものが持つ力であったなと、今なら思います。

もともと教科書にはメッセージ性の強い作品が多く採用されています。その教材を生かすも殺すも、教師にかかっているのではないでしょうか。

小学校では『雨ニモマケズ』や『注文の多い料理店』などの作品が教科書に取られています。一度は時間を使って、宮沢賢治の背景を学んでいくのもいいのではないかと考えました。岩手は私の地元ではないので、実際の景色を見させることはできないけれど、本や映像資料をうまく活用し、味合わせてあげたいと思います。(Iさん)

 

宮沢賢治の本は、今まで何冊か読んだことがあります。ちなみに一番好きな童話は『注文の多い料理店』です。

賢治の生い立ちやどのような人物であったかということは知りませんでした。もちろん教師だったことも、今日知りました。

その教師生活の最後に生徒に贈った『生徒諸君に寄せる』には感動しました。この文章にはかなり深い意味があると感じました。

とても充実した楽しい教室で、生徒たちと毎日過ごしていた光景が浮かびました。

私も教師になって、最後は、幸せな気持ちで教師生活を締めくくりたいなと、読んでみて大きな夢を持ってしまいました。

先日、小学6年生の授業を見学に行ったとき、『やまなし』の授業でした。子どもたちは、かにの目線、気持ちになって、考えたりしていましたが、「むずかしい」「わからない」と言っていました。やはり賢治の文章は難しいんだなと思いました。

しかし、自分なりに文章からイメージをして感じることができたらいいのではないかなと、子どもたちの姿を見て感じました。

 

賢治の作品は難解だという意見があります。確かに、賢治独特のことばがふんだんに使われ、化学的な、天文的な、宗教的な世界が描かれます。

しかし、賢治という人を知れば、作品世界が感じられるはずです。この「感じる」ということこそ賢治作品を受け入れる鍵です。音読する、イメージするーー賢治は自分の童話や詩(心象スケッチといった)は、生徒たちに声を出して語って聞かせたといいます。

例えば『やまなし』。“二枚の幻燈”を素直に描いていけばいいのです。解釈しようなどと考えなくていいと思います。アニメーションのようなイメージを作り上げればいいとぼくは考えます。

「クランボンはかぷかぷわらったよ。」ここで、「クランボンとは何か」なんて迷路に入り込まないで、かにの子どもが「かぷかぷ」なんといっている音(オノマトペ)の面白さを愉快だなあと受け入れればいいのです。賢治は独自のオノマトペを使う人だったからね。

 

深く、豊かな漢字の学びを

本日は「漢字の学び」を考えます。ドリル・習熟に落ち込むしかないのか。いや、違う道があることを確かめましょう。薄っぺらなドリル学習にとらわれず、深い、豊かな学びへと学習観を切り替えましょう。

 
       ****************
 
木曜日の授業時に配った「授業通信らぶれたあ⑩」は、前時の授業のまとめと、学生からの「コメント」を紹介しました。毎時間、こうした振り返りから始めます。
授業のタイトルは「教育実践学概論」といういかめしいものですが、ぼくにとっては、この「らぶれたあ」を書き、授業で活かすことが教育実践のスタイルだという思いがあります。
 
(No.2346の記事)