最後の「キリン」の詩にたどり着きました。これまで8編の「きりん」の詩を読んできたので、詳細な読みは必要ないかもしれません。
音読を中心として読んでみましょう。

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この詩は「3連だ」という子がいるので、よく見させます。4連です。
2連目は「顔」の1文字だけです。
つまり、ここを意識して音読します。1連から続けて読まずに、しっかり間を取ります。
どうしてなのでしょう。

子どもたちにまず読んでもらいました。
平板な音読です。
「今の読み方でいいのかな?」と問います。

「1連から、大人が子どもに語りかけるように読むんだよ」と子どもたちが言います。
「やさしく読む」ということばも出ます。
対象を意識し、状況や場を意識すれば、音読は一変します。

この詩で子どもが見ているのは「足」です。目の前の大きなキリンは、まずは「足」が目に入るのです。だから「足が あるく」のです。

2連の「顔」をどう読むかです。1連と2連の間のアキです。
キリンを子どもの目線で考えてみましょう。
まず、です。⇒胴⇒首⇒顔という風に見えるものが変わっていきます。
おそらく、ゆっくりと目線は変わっていくものでしょう。すごいなあという思いと共に。
当然、そのように音読します。
このアキのあいだに、足、胴、首、やっと顔ということを意識して(実際に目線の動きも変えていく方がいいでしょう。)読みます。

「くびが おしてゆく」
ゆったりと歩くキリンです。首はあまりにも長く、ゆらゆらゆれながら進みます。
首の上に乗った顔。あたかも空の中を(子どもの目線だとそうです)、首が押してゆくようです。
ここでも語りかけるように読みます。

子どもたちは「正確に読む」ことに気を使いますが、音声化にあたってはそれよりイメージをしながら読むことが大事です。
「間(ま)」というものを、単なる表現上の技術として考えるのではなく、心理的なものとして活かします。

これまでの8編の詩を読んできたからこそ、ここでの音声化の学習が可能となっています。

IMG_20151030_202723968.jpg さて、この詩をじっと見ていると何かに気づきませんか。キリンの背の高さや、顔の位置の高さが意識できませんか。

「顔」の文字を一番上に持ってきたことによって、そうした見方ができると思うんだけどなあ。





これで、「キリン」シリーズはオシマイ。

(№1540の記事)