山村暮鳥
おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきそうじゃないか
どこまでゆくんだ
ずっと磐城平(いわきだいら)の方までゆくんか


「何のきどりもなく口から出た言葉をそのまま書いたような詩」と、高田敏子さんはこの詩を紹介しています。(高田敏子著『詩の世界』ポプラ社より)
「『おうい雲よ』とよびかける言葉の響きからは、澄み切った空の青さが思われ、その青さ中に、流れてゆく雲の姿が浮かんできます。雲までの距離は、遠すぎも近すぎもしない、『おうい』と、よんでとどく距離。この『おうい』という、このはじめにおかれたことばがとても効果的で、雲がどのあたりに流れているかを伝えています。」

「『ゆうゆうと 馬鹿にのんきそうじゃないか
この言葉で、ゆったりとひろがる白さやその様もうかびます。
そしてこの日は、風もそよ風、やさしく、ここちよい程度に吹いているいるのでしょう。
『イメージがゆたかだ』とは、詩をほめるときによく使うことばですが、イメージとは映像、たとえばテレビや映画を見るように、その情景が心のスクリーンにうかんでくることです。
この『』は、はじめの三行で、そのイメージを十分にあらわしているといえるでしょう。
終りに行の『ずっと磐城平の方までゆくんか』は、雲の流れる方向が磐城平であるという地理的なことだけではなく、その磐城平には、なつかしい思い出とか、会いたい人が住んでいるとか、『自分もいっしょに行けたらなあ』と、そんな思いで見送っているのでしょう。」


『雲』の授業にあたって、まずは「自分の読み」です。

『雲』の作者=山村暮鳥と、その詩の背景

『雲』は暮鳥の有名な詩です。作者は41歳という若さで亡くなっていますが、晩年にはこの詩のように、短詩を多く書きました。
短い詩であり一見すると単純なものであっても、イメージは豊かです。

この詩を書いたとき、暮鳥は肺結核のため、茨城県の大洗海岸近くの地で療養中でした。
この詩の「磐城平」というのは、現在の福島県いわき市平のことです。
暮鳥は、かつてこの磐城平で生活しており、様々な文化活動を行いました。それゆえこの地には懐かしい人々がおり、もっとも会いたい人も病中であったため、また自身の病気もあり会うこともままならぬ日々を送っていました。
そのなかで書いた詩でした。今から90年も以前のことです。

「私」になってイメージする

こどもたちにもこの詩のイメージはいくらかは描けるでしょう。この詩の背景にある事実を知らなくても、詩歌の中のことば一つ一つからイメージをつくっていく力を持っています。
話者である「私」になりきってみる
(同化する)ときに、それは可能です。見ているもの、していること、感じていること、それをイメージしていきます。そうして豊かな詩の体験ができます。

(次の記事に続く)

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