ブログを書き始めて1年がたちました。

恐る恐る最初の記事をアップした時、それは見えない暗闇にボールを投げるかのような感覚でした。そこには誰がいるんだろうか。


すぐさまボールが返ってきました。こんなにも早くと、驚きました。

かつてぼくの手書きの学級通信『らぶれたあ』の読者でもあった3人の保護者の方からでした。「また読める、期待してます」という喜びと励ましの声でした。


愛知教育大の子安潤先生からの温かな声も来ました。(子安先生はぼくの教室を2度訪問してくれています。ブログでもその時のことを記事にしてくれています)。その後も時折コメント欄や、フェイスブックに温かなことばを寄せてもらいました。


このすぐさまのコメントが無かったら、さて、こんなに続くことはなかったと思うことがありました。何せ、苦手のパソコンとの格闘の日々ですから。


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このブログでも「ことばを文字に閉じ込めない」という主張をし、実践を綴っています。

このことに対して子安先生からの「問い」が来ました。研究的な視点からのものでした。重要な指摘だと思いました。

けれどぼくはこれに応えることができませんでした。研究的に突き詰める点で弱点があったからです。

これでいいと思いません。応えようと考えているうちに、別の形で応えることにしました。

さらに意識的に実践を綴るということです。

出来るだけ詳しく綴ることで、結果的に意味が明らかになるのではないかと。


こうして始めているのが「わくわく1年生学びの場」シリーズです。つまりこういう事情もあります。


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昨日の池袋でのリアル「わくわく1年生学びの場」には何人が来るだろうか。ノゾミさんのリクエストに応えたものだから、一人でもいいと考えていました。

なんと、ベテラン2人、若者4人、ぼくも入れて7人になりました。


ブログ上の記述では、今一つつかめないことが、語りや応答の中に明らかになると考えます。


ことばというものについて最初にいつもより原理的に語ることから始めました。この根拠なくして、ことばあそびの実践は広がりを持たないと考えるからです。

「人類史からはじめます。ヘッケルの説”個体発生は系統発生をくりかえす”ということを、ことばの観点から考えます。…」

こう語り始めたのだから、「あれれ?」と思った人もいたでしょう。

話はあっち行ったり、こっち行ったりな面もあったけれど、多面的に話せた分面白かったんではないかな。


参加者の今を聴きあうこともこうした機会では大切でした。

今年、担任を離れたIさんのリアルな若者支援(途中にメールや電話があり、新任の教師をサポートしていました)。

再度現場応援に現場に入ったK子先生のフレッシュさ。

新任1年目は泣いてばかりだったノゾミさんの笑顔での楽しい日々。

初めての1年担任の不安が大宮での語り合いの中で消えて行ったチヒロさん。

特別支援学級から担任に戻って戸惑いの日々を送りながら、新たな挑戦をしたいというユウコさん。

転勤、初1年担任の中でも、子どもとの授業が遊べているというアキラくん。


リアルな「声」の交流が、みんなの元気になったというのが実感です。


(参加したK子先生が昨日の自身のブログに紹介記事を書いてくれています。

「Uni johtaa<夢にみちびかれ>」ということで検索してみてください。)