いわずに おれなくなる

            まど・みちお

いわずに おれなくなる

ことばでしか いえないからだ


いわずに おれなくなる

ことばでは いいきれないからだ


いわずに  おれなくなる

ひとりでは  生きられないからだ


いわずに  おれなくなる

ひとりでしか 生きられないからだ



まどさんのこの詩は、「らぶれたあ」を綴るときに、いつも心の奥底においてきた呼びかけでした。

眠い目をこすり、慌ただしさにつぶされようになっていても、なぜ書くのか、書き続けるのか、その答えはみつからないまま、「いわずに(書かずに) おれなくなる」自分がいました。


いままた「ブログ」というかたちで、書き始めています。


1連と2連、3連と4連の間の矛盾、葛藤、これこそが「いわずに  おれなくなる」動機なのです。

ことばの限界というむなしさ、ひとりで生きること(=死ぬこと)のさびしさを知ること、それでも、いや、だからこそ「いわずに  おれなくなる」。




ところで、まどさん、どうなさっているのだろうか。

伊藤英治さん(優れた編集者だった、ぼくにとっては兄貴分のような人だった)が亡くなられて、まどさんのこと知る術がなくなったような気がします。もちろん調べれば消息は分かるかもしれません。そういったことではないのです。

まどさんの作品世界に出会わせてくれくれる人によって、もたらされることを知りたいのです。


伊藤さんの仕事にじっくり触れる時間ができたときに、伊藤さんがいなくなっていた、なんと悲しいことだろうか。


伊藤英治さんは、ぼくが教員になる前、日本児童文学者協会に勤めていたころ、雑誌「日本児童文学」の編集者として出会った人でした。豪快さと繊細さを兼ね備えた魅力的な人でした。

編集者としての筋を通す人で、どんな有名な作家の作品、文章でも、よくなければ突っ返すこともありました。そのために仕事をほされるようなこともあったようです。

ぼくのような後輩にはとても優しくて、時々阿佐ヶ谷、高円寺あたりのバーに連れて行ってくれて、話を聞いてもらうこともありました。


教員になってからは、ほとんど会うこともなく過ごしていましたが、伊藤さんの仕事には関心を持っていました。(「まど・みちお全詩集」、「阪田寛夫全詩集」は素晴らしい仕事です)

授業の中で、まどさんや阪田さんの詩をたくさんとりあげて遊ぶことの根っこに、伊藤さんの存在の影響もありました。最近は1年間の「らぶれたあ」を送っていました。


ぼくが「演劇と教育」誌に書いた「まどさんの詩を教室で読む」の号に、伊藤さんの文章もあり、そのぼくの文が演劇教育賞になったのも、伊藤さんの導きだったとも思います。


この4月、伊藤さんの奥様から封書が届きました。

「3月25日 夫の遺志に従って故郷(愛媛県西条市)の海へ散骨しました」

とありました。


神沢利子さんの「伊藤英治讃」という言葉が添えられていました。


伊藤英治讃

        神沢利子

い  いつもおだやかな笑顔ながら

と  闘志を秘めて仕事した人

う  うまれ故郷の

え  愛媛の海に眠りても

い  いつも心に生きる人

じ  忸怩たるわれを 励ましくれる人



(№11の記事)