沖縄慰霊の日、6・23〈81年目)、らい予防法廃止〈30年)
6月は人権や平和に関する思いを確かめる月、ぼくにとっては。6月23日は沖縄慰霊の日。この日は、地上戦が行われた沖縄で、失われた多くの命について思いを巡らす日。この沖縄での慰霊の式典に行ったのはもう8年前。その時の記憶がよみがえります。あの時は病を抱えた翁長さんが知事でした。この式典に当時の安倍首相が言葉を述べましたが、会場でのあの時の白々しさと言ったらありませんでした。下の写真は2018年6月23日の会場写真(3.2撮影)(この写真は報道から)沖縄のことを蔑ろにする政策を押しすすめる安倍氏に、元自民党員だった翁長氏が鋭い眼光で睨みつけるようにじっとそのことばを聴いていたことを思い出します。 今年の高市首相の慰霊会場での発言たるや、これまでの「非核三原則の見直し」、「憲法9条改悪、防衛力強化」、「アメリカ・イスラエルの戦争への批判いっさい無い」、「アジアでの緊張状況を高める台湾有事発言を撤回しない」、「沖縄の基地機能の強化一辺倒」、「辺野古基地建設、普天間基地もそのまま」など、戦争まっしぐらです。高市氏の発言のその文面は、官僚が書いたものをアドリブなしで読むだけ。気持ちや心は全く感じられません。(戦争への肯定的な感情、憲法九条を唾棄すべきものとのかつての発言もあった高市氏が、自分で書いたらそれはそれで恐ろしい内容になるのでしょうが。)平和祈念式典では、参加者からかつてないほどの批判の声があげられました。その様子はテレビ放送などで報道されましたが、冒頭部分以外の批判の声は、音声処理で消されていました。あまりにも白々しい高市氏の発言を聴く気にもならず、ネット上の報道で「文字」で読みました。よくもまあという思いでしたが。 「9条を守れ」 「戦争反対」 「24万人に謝ってこい」#沖縄慰霊の日 https://t.co/cVM7SHq55n pic.twitter.com/OdyfB7vo38— ふっちゃん@戦争反対 (@ashitawawatashi) June 23, 2026発言後の記者会見。“発言中に「戦争やめろ」「憲法9条護れ」の声が聴こえたか”と記者に問われて答えた高市氏。発言中だったから聴こえなかった、と。その対応が空々しい。いつもの表情。ことばを弄ぶ態度。<戦史/紛争史研究家、山崎雅弘さんのXより紹介、ぼくの思いと同じです>沖縄県民の叫ぶ「戦争やめろ」とは、沖縄を含む南西諸島を次の戦場にすることを規定方針としたような戦備強化で戦争を引き寄せるのをやめろという意味なのに「今日本は戦争をやっておりません」。この人を小馬鹿にした態度。6月23日に沖縄県民に対してとる首相の態度がそれか。「軍事力を強化すれば、国は平和になる」というのも完全な間違いで、この間違いが日本を先の戦争で破滅に導き内外で多くの人に死と不幸をもたらした原因でした。《 来月出る新刊『戦争を甘くみる空気』(朝日新書)で、それについて多角的に分析と検証をしました。》慰霊式典で沖縄県民から自分があれだけ野次られたのに「効いてないアピール」のようにペテンスマイルで県民を愚弄する高市早苗。 6月23日に中央政府から来た首相や政治家でこんな満面の笑顔をした人間が過去にいたか。 6月23日がどういう日か理解していないからこんなふざけた態度をとれる。高市氏、この後デニー沖縄県知事と5分間の対面を終え、東京に取って返したそうです。米軍基地返還を唱える沖縄県知事へのこの非礼さは続きます。政治的圧力と金で沖縄を押さえつける自民党の政権。戦争のためには、沖縄県民を日本本土の盾にすることを躊躇しません。そういう歴史が続きます。 その前日の6月22日は「らい予防法廃止30年」でした。毎日新聞に以下の記事がありました。人権のことを考える日。岡山県の瀬戸内海の島「長島愛生園」の中尾伸治さん〈91歳〉のことばです。毎日新聞記事より。らい予防法廃止30年「偏見と差別」は終わらず 厚労省で追悼式典2026年6月22日 伊藤良渓中尾伸治さん(91)が手に持つ、妻(左)と母の遺影。国立ハンセン病療養所「長島愛生園」に強制収容されたのは14歳のころ。結婚時に迫られた不妊手術で、子どもはいない。差別被害を避けるため、家族とも縁を切らざるを得ず、今も1人で暮らす。中尾さんが手に持つ写真は顔が分からないように撮影した。「30年経っても、家族の顔を見せられない理由を考えて欲しい」=2026年6月15日午後、岡山県瀬戸内市、田辺拓也撮影 国の強制隔離政策で被害を受けたハンセン病の元患者の名誉を回復し追悼する式典が22日、東京・霞が関の厚生労働省であった。らい予防法が1996年に廃止されてから30年。元患者や家族、遺族のほか、関係閣僚や衆参議員らが参列し献花した。 ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会の竪山勲会長は「私たちハンセン病元患者や家族らは、いまだに偏見と差別の渦巻く中、じっと身を潜めて生きている」と述べ、「共生社会の構築に向けて、国を挙げた取り組みの強化を求める」と訴えた。上野賢一郎厚労相は式辞で「こうした歴史を二度と繰り返さない。偏見、差別の解消に向けた取り組みをさらに進める」と決意を述べた。 ハンセン病はらい菌による感染症で、かつてはらい病と呼ばれていた。政府は31年、すべての患者を収容して根絶させるため、癩(らい)予防法を制定。戦後になっても53年に、らい予防法がつくられ、強制収容が続いた。偏見、差別が深刻化した。らい予防法は96年に廃止。その後、元患者らによる国家賠償請求訴訟では、熊本地裁が2001年に隔離政策を違憲とする判決を示し、国の責任を認めた。 長年にわたる国の政策によって、元患者や家族に対する偏見や差別は根強く残る。厚労省が24年に公表した全国意識調査では、4割近くの人が、ハンセン病に対する偏見・差別の意識を持っていると回答した。14歳のころ強制収容され、国立ハンセン病療養所「長島愛生園」で今も暮らす中尾伸治さん(91)=2026年6月15日午後、岡山県瀬戸内市、田辺拓也撮差別は、病気を克服した後も残り続けます。無知ゆえの無恥な行為が続きます。ぼくの住む家のすぐ脇の多磨全生園。「望郷の丘」、土塁や柊の垣根をつくって、この地にハンセン病者を閉じ込めた場所。その際に掘り起こした土などで造られた築山=望郷の丘。その工事が続いています。望郷の丘の樹木は取り払われ、螺旋状の道が造られています。車いすでも登れるようになるというのですが。歴史の重みはここでは考慮されているのでしょうか。時々、観察しなければと思います。今週日曜日、岩手から来るYさんを案内します。(台風よ、来ないでくれ)