2021.12.13
昨日は久しぶりに出会えた方々と楽しい語らいの時間が持てた。
一社)埼玉県助産師会は来年100周年を迎え、記念誌を作成するのだそう。
その中で掲載予定の「対談」に呼ばれたのだった。
助産師会の長い歴史の中で、主だった改革を手掛けた方々の中、私は場違いじゃないかと思ったのだけれど、入会したばかりの30台前半から、なんだかんだと役員を仰せつかり、命令されるがままにいろいろやって来た事を話せと言われ、思い出し作業と思い出したものをつなぎ合わせる作業。
これが、思いのほか楽しかった。
県内でお産する場所をまとめたいと「お産お助けガイド」を制作したのが平成11年だった。
ネットでサクサク調べられる今と違い、当時は情報誌に載せる産院にお手紙出してお返事頂く「白ヤギさん、黒ヤギさん」方式。食べなかったけど
パソコンうまく使えない私たちにアドバイスして下さったのは、自宅出産した産後のママさんだった。(パソコンのプロ)
「安全な助産所分娩のために」という、冊子も作った
公社)日本助産師会から「助産業務ガイドライン」が出版される前に手掛けたものすごい先駆的
新しい委員会を立ち上げたり、会員の教育システムを構築したり充実させたり、その間にブロック講習会や全国総会の実行委員やったり…思えばいろいろとやって来たな~
現理事の方々に「そんなにいろいろやってたのびっくりだわ」と何度も言われて、実は私も思い出してびっくりしていた
振り返るチャンスを頂けて良かった。
今は、埼玉県助産師会にほとんど貢献していないのだけど、自分の中の県助産師会へのも発見できた。
役員はもうやらないけど
なぜか夫が「はい」とアラビックヤマトのスティックタイプをくれた。
なぜ