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       三木句会ゆかりの仲間たちの会:太田酔子さんの読書感想

 

 

        小林エリカ 『女の子たち風船爆弾をつくる』

          The Paper Balloon Bomb Follies (文藝春秋、2024)

 

        プロローグの最初に「いろは歌」の一節が記されている。

 

         うゐのおくやま けこえて

 

         あさきゆめみし ゑひもせず

 

        そして、けふこえての「ふ」に傍点が付されているのだが、この時点

        では見過ごしてしまうかもしれない。

 

         風船爆弾とは旧日本陸軍の兵器である。「号兵器」が秘匿名称

        だった。和紙をコンニャク糊で張り合わせてつくった気球に水素ガスを

        詰め、中に爆弾や焼夷弾をつめて、偏西風に乗せて米本土に飛ばした

        もの。それを極秘裡に、兵器であるとは知らされぬままに作らされたのが

        「女の子たち」である。

 

        「女の子たち」は、あるいは雙葉高等女学校の、あるいは跡見高等女学校

        の、あるいは麹町学園の、あるいは元八女高等女学校の、延岡高等女学校

        の、愛媛県立川之江高等女学校の、私立の府立の県立の高等女学校の、

        10代の女学生たちである。この作品の中では彼女たち一人一人は名前を

        持たぬ「わたし」として、その身に降りかかった出来事を日録のように綴る。

        一人一人の日録で、長い長い戦争の終盤が現れてくる仕掛けでこの本は進む。

 

        「バラ模様のレースショールと揃いのパラソルに絹の手袋。淡いコバルトに

        クリーム色を重ねた春の野の裾まわしの着物」(8)これが1935年(昭和10年)

        3月10日の祝祭めいた冒頭部分に置かれている。その日は陸軍記念日、日露

        戦争30周年のお祝いの日。おそらく裕福な「わたしたち」はこのような華や

        かな日々をずっと送るはずであった。

 

        「わたし」は雙葉小学校に入学する。校門の右手にはジャンヌ・ダルクの

        銅像があり、その奥には聖母マリアの像がある。「わたし」は新宿の戸山

        尋常小学校、「わたし」は渋谷の上原尋常小学校、わたしは神田の、日比谷

        の、麹町の、もっと別の小学校に入学する。

        ちょうど時を同じくして東京宝塚劇場が設立され、少女歌劇の少女たち

        (12歳から16歳)が日独伊親善芸術使節団として海外公演にまわることに

        なる。上海、シンガポール、イタリアの街々、ドイツの街々を。次には訪米

        芸術使節団としてサンフランシスコとニューヨークへ。すでに排日気分が

        横溢していたアメリカとの関係改善と、上両市の万国博覧会での公演が

        名目であった。(68)

 

         その少女歌劇を、お手伝いさんに伴われて観劇していた裕福な「わたし

        たち」の日録を縫って、「和紙を漉く」(70)とか「コンニャク芋を植える」

        (94)とか「コンニャク芋の葉が伸びる」(114)「コンニャク芋を掘り

        起こす」(121)などが記されていく。「偏西風」(140)が軍事機密に

        なったこと、やがて和紙の材料の「楮の増産」(163)が始まり、そして

        ついに食卓から「コンニャクが消える」ところまで行く。[この時点

        (昭和18年1943年9月)すでにイタリアは無条件降伏していたことも、

        「わたしたち」は知らない]。

 

         昭和19年(1944年)11月から翌年4月にかけて風船爆弾が作られた。

         芸術使節団と称して慰問に駆り出されていた少女歌劇の少女たちも、

        高等女学校の女生徒たちも、風船爆弾の製造に駆り出される。コン

        ニャク糊で和紙を貼り合わせ巨大な気球を作るのである。直径10メートル

        もの風船を製造するための工場としては大劇場しかない。東京宝塚劇場、

        歌舞伎座、新橋演舞場、帝国劇場、明治座そのほか、全国の劇場や造兵廠

        が接収された。

 

          わたしは、ふたり一組になって、風船の内側と外側から、穴があいたり、

        傷や弱い箇所がないかを調べて直す。

 

        「休憩時間等に膨らんだ風船の中に入って遊ぶこともできた。」

 

        「風船の中でおかしを食べたりした。」(208-209)

 

        まるでいたいけない子どもの姿だ。少女たちは殺人兵器を製造している

        ことは全く知らされていなかったし、時局の真相を知ることもなかった

        のだから。

 

         しかし、次の言葉が何度も繰り返されていて、自由でおおらかな少女

        たちが戦争に巻き込まれていったことを語る心の現実がここにある。

        わたしは、男だったらよかった。あるいは、わたしは、そんなことは

        考えない。

 

        わたしは、決して無力なんかではないのだと、思いたかった。

 

         太平洋の沿岸に、風船を飛ばすための基地が建設され、放球された。

        9300発が打ち上げられ、約1000発が米本土に到達したとされる。

        (300発とも言われる。)1945年5月、オレゴン州で妊婦と子どもの計6人

        が死亡したなどの記録が残る。

 

          この本を読みながら、しきりにアメリカでの原爆開発計画のことを

        思っていた。フィリス・K・フィッシャーは、科学者の夫とともにニュー

        メキシコの辺境で2年間暮らし、『ロスアラモスからヒロシマへ』という

        手記を残した。彼女もそこが原爆開発の研究所とは知らされず、世界から

        隔絶され、親との連絡さえできなかったという。

 

         この手記を入手した小説家の村田喜代子が『新古事記』という小説を

        書き上げる。「群像」の2021年9月号から2023年4月号まで(途中休載

        を挟みながら)連載したもので、2023年8月8日に単行本として出ている。

 

        フィッシャーは最初研究所付属の動物病院に勤務する。研究者家族の多く

        は犬を飼っているから、動物病院もある。犬たちも奥さんたちも、おそらく

        閉ざされた中で、しきりに妊娠する。研究が成就し任務が終わった時、

        犬も人も増えた家族と故郷へ帰っていく。

 

        一方『女の子たち風船爆弾をつくる』では

 

        この街では、金属飾りがついた首輪どころか、もう犬さえ見かけない。

 

        飼い犬はみんな集められて、殺されていた。

 

        ドーベルマンも、プードルも、ヨークシャ・テリヤも、もう見ない。

 

        わたしは、わたしの犬が、毛皮になったのか、缶詰肉になったのかさえ、

        知らない。(235)

 

        実に象徴的な両国の違いである。

 

         さて、昭和20年8月15日以後の記録が本書の三分の一近くを占めている。

        このことは実に意味深い。

 

        わたしたちの沖縄が全滅した。(259)

 

        8月6日の広島、8月8日にソ連対日宣戦布告、8月9日の長崎、そして

        8月15日。そして、玉音放送の直後からこの街のあちこちで、煙が立ち昇る。

        わたしたちの兵隊は、書類を、機械を、川へ投げ捨て、穴に放り込み、

        焼いていた。

 

        わたしは、わたしたちが燃やしたものの煙を、見る。(264)

 

        だから、風船爆弾のことは人の知るところとはならなかった。「女の子たち」

        は、緘口令を守って一切を口にすることはなく、重い事実を胸にしまって

        戦後を長く生きたのである。

 

        戦後処理はどのように行われたか、行われなかったか。

 

        春が来る。

 

        桜の花が咲いて散る。

 

        このフレーズが一年一年を区切って、「東京オリンピック2020」まで

        繰り返される。「あさきゆめ」というより悪夢であった。「年年歳歳花

        相似 歳歳年年人不同」の詩句が頭をよぎった。

 

 

 

 

 

 

                                                       

                                            photo: y. asuka

                                七月の青嶺まぢかく熔鑛爐            山口誓子