三木句会ゆかりの仲間たちの会:『食の一句』櫂 未知子著より
10月27日
干し柿の粉をふく秋の土用かな 田口春草
土用は各季ちゃんとあり、<秋の土用>は立冬までの十八日間
をいう。夏の土用といえば鰻をすぐに思い浮かべるのに対し、
この句の<干し柿>は懐かしく美しい。干してある柿が白い粉を
噴き、甘味をさらに増すようになると、冬はもう近くまで来ている
という思いが強くなる。私の育った北海道では柿の木そのものが
あまり育たないから、本州でたわわな柿や干してある柿を見た時、
「あ、『日本むかし話』だ!」と大いに感動したものである。
(『青嵐』)季語=秋土用(秋)
遊子のおまけ:なんでも言葉を縮めてしまうのは日本人の特技だ
と思っているが、「#ラスメシ」なる言葉に出会った。昔風に言う
”いまわのきわに食べたいもの”は、落語では「そば清」があり、
江戸時代の粋な蕎麦の食べ方として、塩辛いつゆに蕎麦をほんの少し
つけて勢いよく音を立ててすする、というのがあり、死を前にして
ある男は、本当はつゆをたっぷりつけて食べたかったという本音を
明かした、という痩せ我慢を嗤ったもの。
筆者のラスメシは「干し柿」。たっぷり大ぶりで外側は少し硬く
なり、中はまだ柔らかい、というのが理想的。いつの頃からか、
干し柿は桐箱に鎮座し、高級贈答品の座を獲得してしまった。
11月3日
蛸焼を返す手捌き文化祭 泉田秋硯
文化祭が必ずしも文化の日に行われるわけではないが、やはり
十一月三日関連だとみたほうがこの句は面白い。上五・中七までは
「あ、プロの手さばきを詠んだ句なのかしら」と思うが、<文化祭>
と締め括ったことで、素人が懸命に焼いている雰囲気になった。季語
の妙味である。タコーーそして文化。よく考えてみると、文化住宅・
文化包丁・文化鍋などなど、ブンカのつくものはどことなく怪しい
ものが多い。となると、蛸焼はぴったりか。
(『鳥への進化』)季語=文化祭(秋)
遊子のおまけ:最後の段は、蛸焼はどことなく怪しい、と読めて
しまう。まあ、B級グルメにも入れてもらえない、関西発の間食といった
ところか。が、とんでもない!タコは今や高級食材に成り上がった。
国内の不漁、アメリカでのヒスパニヤ系の人々が常食するようになった、
円安で買い負ける、などが理由らしい。最近、築地場外に買い物に
出かけたおり、タコの足元に置かれた値段表にびっくり。ざく切り
にしてビールのつまみに、などと言っていられない。70年代の
アメリカでは、ニューヨークでさえもsashimi/sushiは、なまで魚を~~?
と眉を顰められ、日本人同士でひっそりと小さな寿司店に行った
ものだ。ひとの価値観は容易く変わるらしい。
photo: y. asuka
鮨圧すや折れむばかりに母は老ゆ 山田みづえ
