三木句会ゆかりの仲間たちの会:大塚楓子さんからのエッセイ | sanmokukukai2020のブログ

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     三木句会ゆかりの仲間たちの会:大塚楓子さんからのエッセイ

 

 

     安達原の鬼婆

 

      私は若い頃、ある女子大学の英文科の助手をしていました。まだ先生方の

     研究室も整備されていない時期で、専任教員も非常勤も事務室の奥の学科長の

     部屋にたむろしておられました。私たち助手はタイプを打って教材を作る手伝い

     をしたり、お茶をお出しし、また時にはお喋りの相手もした良き時代でした。

      なかに、品の良い初老の先生がおられましたが、帰路に着く前には必ず「さて、

     そろそろ安達原の鬼婆のところにもどるかな」とおっしゃるのでした。私は当時、

     お能はもちろん謡曲の素養もゼロでしたが、その言葉だけはよく覚えているのです。

     おそらく鬼婆ではなく綺麗な優しい奥様なのだろうと想像していました。のちに

     お宅を訪ねる機会がありましたが、やはり鬼婆からは程遠く、上品で綺麗な奥様

     でした。

      この<鬼婆>は観世流では『安達原』、宝生流では『黒塚』という謡曲に由来

     することをずっと後になって知りました。

      お能『黒塚』は、ワキ役の旅の僧侶の登場に始まり、彼らは山中の一軒家で一夜

     の宿をと頼みます。主人の女が「あまりに見苦しく候程に、お宿は叶い候まじ」

     といったんは断るのも謡曲によくあるパターンです。僧侶たちが行くあてもないので

     と、さらに頼むと女は願いを聞き入れます。夜寒のなか、女は枠枷を用い麻草を

     編んでいます。しかし「あまりに寒いから、薪にするものを集めてくるが、留守

     の間、閨を決して見るな」と言いおいて出かけます。「見るなのタブー」です。

     誘惑に抗しきれず僧侶たちが閨を覗くと、そこは死骸の山でした。驚き慄いて僧侶

     たちは逃げ出します。鬼女となった女が「見たな」と言って追いかけますが、僧侶

     たちの必死の祈りで鬼女は弱り果てるところでお能は終わります。

      女が鬼女になった所以はいろいろ説があるようです。一説には、貴人の娘の病を

     治すために妊婦のお腹の子の心臓を取って食べさせよと託宣があって、この女が

     犠牲になったというものです。山中の一軒家で孤独に暮らす女、「昨日も空しく

     暮れぬれば」と呟きながら、枠枷を用いて麻草を編む女、旅の僧のために薪を拾い

     に行って、もてなそうという優しさの一方で、閨につまれた死骸の山。

      この曲のシテ(主役)はこの鬼女です。私が若い頃に聞いた鬼婆という言葉は

     謡曲には出てきません。でも婆という語は必ずしも老女とは限りません。まだ力

     を持つ中年女性でもあり得ます。面(おもて)も前シテは曲見(しゃくみ)という

     中年の女用のものです。鬼女となった後シテは般若の面をつけます。角が2本生え

     ています。死骸の山というからには旅人を殺して食べていたと想定されます。謡曲

     の中では珍しく、さまざまな解釈を許します。

      この孤独と残酷さを秘めたシテの謡ができるようになるのが私の望みの一つでも

     あります。年齢だけは十分に重ねております。

 

 

 

 

 

 

 

                

                           photo: 能楽協会

                      夢に舞ふ能美しや冬籠      松本たかし