三木句会ゆかりの仲間たちの会:樹 水流さんから酔子さんへ
酔子 さま
少しずつ秋の気配がしてまいりました。
当地から富士山のシルエットが見える日もだんだんと増え、青い富士山は秋の到来を感じ
させてくれます。ブログでの本のご紹介、ありがとうございます。
もう随分と前のことになりますが短歌を読んでいた頃がありまして、岡井さん、穂村さ
んの名前は存じております。当時、岡井さんは大先生、一方、穂村さんは若手のホープで
した。穂村さんのエッセーも軽快で、明るいネクラ生活をおもしろおかしく読んだ記憶が
あります。ですので、「素人(初心者)をつかむ腕前は傑出している。」は大いに共感で
きるところ。
お二方の短歌への導きはまさに俳句に置き換えられることで、「瞬間」「遊び」どちら
も苦労した点です。逆にこれができれば申し分ないのですが、瞬間を言い過ぎて説明にな
る、遊び過ぎて誰も分からない、という結果が待っているのです。俳句の目で身の回りを
見渡せば、自ずと自分の中にある言葉で「瞬間」を表現できるのでしょうが、時々は冒険
もしてみたくなって、ちょっと気取っておしゃれな言葉を選んでしまい、失敗すればもう
それは「私」ではなくなってしまう。おしゃれとは逆に「生きる」ことは案外生っぽいも
のかもしれません。『「生きのびる」ことが一義的には必要だけれど、人はそれだけでは
何かが足りないと感じる。』それは体温や匂いなのか。自分と違う匂いの人を好むという
DNAが人間には備わっているそうです。自分が持ち合わせていない匂いや体温を感じる
短歌や俳句に出会った時、憧れや新鮮な驚きを覚えます。その瞬間が楽しいと思っていま
す。
「植物少女」読んでみましょう。こちらも「生きる」がテーマのようですが、淡々と書
かれているからこそその余白に自分が入っていかれると理解しました。
母のうっすらと開いた掌に重ねた小さな手が感じる母の体温、それに許される自分の存
在。興味深いです。
本屋さんの棚で見つけた「短歌と俳句の五十番勝負」という本を買ってあります。短歌
代表 穂村弘 vs 俳句代表 堀本裕樹 の勝負と言っていいでしょうか。それはそれは広
いジャンルの人たち50人がお題を出し、それを二人が詠みあうという内容です。その歌、
句にまつわるちょっとした文章も合わせて読め、どこのページからも読めますから電車に
乗るときにちょうど良い読み物。
まだまだ残暑は続くようですが、今週は台風の到来もあるようです。
どうぞご自愛ください。
photo: y. asuka
秋ともし舞台に残る譜面台 樹 水流